想いを大切に世界とつながる仕事。
津田塾で得た考え行動する力とともに。

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倉持 百花 KURAMOCHI Momoka

学芸学部国際関係学科 2022年卒業

津田塾大学の国際関係学科で国際開発について学び、在学中にはタイのSEAFDEC(東南アジア漁業開発センター)でインターンシップに参加。それをきっかけに大学入学以前から考えていた、国際的な活動で人びとの暮らしをサポートする仕事がしたいという想いを叶え、現在は独立行政法人国際協力機構(JICA)で働く倉持百花さん。学生生活を通して「自分で考え行動する力」がついたという倉持さんに、津田塾での思い出などをお話しいただきました。

自分のやりたいことを見つけられた学生生活。

まず、国際関係学科に入学されたきっかけを教えてください。
高校生の頃から、大学では世界的な貧困や紛争など、国際的な社会問題について勉強したいと考えていました。しかし、当初津田塾は志望校に入っておらず、受験を決めたのは第一志望だった地元の国立大学の入試の後でした。高校の先生がすすめてくださり、一般選抜B方式の願書締切最終日に慌てて出願して卒業式前日に受験。そして合格、引っ越し、入学と、慌ただしい流れで大学生活が始まりましたが、結果的にとても充実した学生生活が送れて、津田塾で学ぶことができてよかったと感じています。
入学して実際の印象はいかがでしたか。
 大学のガイドブックを見るのが好きだったので、その慌ただしい流れの中でも津田塾のガイドブックはしっかり読んでいました。英文学科(現:英語英文学科)と国際関係学科の両方を受験したのですが、ガイドブックに掲載されている学科の学びはどちらも言語学的な内容や文化、社会学、あるいは異文化コミュニケーションなど、学際的に幅広く学べそうだなというのが第一印象でした。また授業によっては、他学科のものも受けられる機会があることや、近隣大学との単位互換制度があることも魅力でしたね。迷いに迷って国際関係学科を選んだのですが、実感として、いろいろな授業を履修しながら自分の本当にやりたいものを見つけていくことができました。


津田塾は、自分自身を成長させることができた環境でした。

大学生活で一番成長したと感じる部分はどんなところでしたか。
自ら行動し選択できるようになったことだと思います。津田塾で言語や国際関係学を学んだり、また部活動やインターンシップに参加したりと、興味や関心があるものに積極的になることでどんどん世界は広がることを知りました。大学生活の間にいろいろやってみて、その分失敗もしましたが、行動することってすごく大事なことだと学べたのが成長した部分だと思います。
講義の印象はいかがでしたか。
まずはやはり「英語の津田」と呼ばれるぐらい、英語に関する学びは充実していました。高校時代は英語が得意科目だったんですが、いわゆる受験英語が得意だっただけで、津田塾に入ると帰国子女の方がいたり、そうでなくても英語を使いこなせる方がいたりでレベルの高さに圧倒されました。講義のレベル自体もすごく高くて、2年次のセミナーで行った原書講読など英語に触れる時間がとにかく多かったです。課題等も大変でしたが、このときの経験が今につながっていると思います。英語以外にも第2外国語でスペイン語や、それ以外にもフランス語やタイ語も学べて楽しかったですね。

専門分野では開発経済学のセミナーに所属していたのですが、貧困問題を学ぶ中で人びとの暮らしなどを細かく分析していくと、経済だけではなく文化的な側面や行動経済学的な側面も関係していて、他の分野の問題にもつながっていることが見えてきます。衛生や健康の問題もあれば教育問題もある。そうしたさまざまなテーマが交錯して社会の問題は生まれていくのだなと学んだのが印象的です。そんな風に自分の中で一つの軸をもちながらも、多様な領域の学問が重なり合った部分を学んで考えを深めていけるというのが津田塾の学び、特に国際関係学科の魅力だと思います。
自分でしっかり考えることができる環境だったのですね。
少人数授業で発言を求められる機会も多く、しっかり自分で考える、そしてその考えたことを言語化する習慣ができました。1年生の頃は、科目選択でも講義の時間も受け身になってしまう場面が多かったと思いますが、2年生、3年生と学年が上がるにつれて、しっかり自分の受けたい講義を受けよう、積極的に発言しようと能動的に行動できることが増えていきました。

課外活動での積極的な海外挑戦が進路選びにもつながりました。

在学中はラフティング部に所属して世界大会にも出場されましたね。
2年生のときにアルゼンチンで行われた大会に参加しました。もちろん世界大会を目指すとなれば、時間を割いた練習が必要にはなりますが、当時、女子の現役部員が4名で、次の年の世界大会の出場要件である1チーム4名で艇が組めるといったこともあり、また、2学年上の先輩方がその年の世界大会に出場したことにも刺激を受け、挑戦することになりました。

クラウドファンディングで資金を募って出場し、順位としてはあまり良い結果を出せなかったのですが、大会中に他国の選手達との交流を楽しんだり、駅構内で物乞いする人やスラム街といった国外の状況を目の当たりにしたことで、学生時代のうちに一度日本から出て海外での長期生活を経験したいなという思いが強くなりました。それらを含め、とても貴重な経験を得ることができたと感じています。 
大会後はインターンシップでも海外へ行かれましたね。
部活動としてはアルゼンチンで一旦区切りがついたので、3年次からは勉強と社会経験に力を入れようと思いました。まずは、高校生の頃から関心があった留学を考えたのですが、当時「これをぜひ学びたい!」という分野や研究テーマが絞り込めておらず、それであれば就職活動を見据えて働き方ややりたいことを考えるきっかけにしたい、そして最低限のビジネススキルを習得して、さらに英語のスキルアップもできたらと思い、海外でのインターンシップ参加を考えました。実際に参加先を探し始めたのが2年生の冬ごろで、国連インターンシップや民間企業でのインターンシップ募集の情報などを幅広くリサーチしていました。実際に参加したSEAFDEC(東南アジア漁業開発センター)のインターンシップ募集は大学の学外学修センター(現:学外学修・キャリアセンター)で見つけて、関心のあった開発分野にかかわるものだったので応募を即決しました。
タイのSEAFDECでのインターンシップはいかがでしたか。
4年生の1年間を休学してインターンシップに参加したのですが、ちょうどコロナ禍に当たってしまって。3年生の2月末、タイに着いた翌日には水際対策で入国ができなくなる状況でした。結局、万一タイで罹患して重症化したら大変だということで、4月の下旬に日本への一時帰国を選択したのですが、その当時、私の頭には「1年間タイでインターンシップをやりきる」という考えしかなかったので、先の見通しも立てられないまま、一時帰国を決断することは辛かったですね。この時、インターン先の職員の方や大学時代の先輩にアドバイスをいただいたのですが、何事にも「プランB」や「プランC」をもっておくことや、自分で選んだ道が正解だと思えるように気持ちを切り替えて次に進むことの大切さを痛感しました。

一時帰国後はリモートワークの傍ら、開発分野に関する課題を出していただき英語でレポートをまとめるなどの作業に従事し、8月末にようやく再渡航。翌年の2月末まで半年間、タイに滞在して業務に携わる中で、異文化コミュニケーションや自己管理の大切さ、英語はもちろん日常生活レベルのタイ語、そして水産資源開発分野など、さまざまなことを学び知見を広げることができました。インターンシップをとおして一番感じたのは、やはり自分は国際社会における開発に近いところで仕事がしたいということでした。開発というのは、その地域に暮らす人の命や生活があることが大前提なので、より命にダイレクトに関わる保健や医療の分野に対しての関心も非常に強くなりました。 



世界のために、日本という国の想いを背負って国際協力の使命を果たしています。

就職活動は帰国後に本格スタートしたのですか。
タイではインターンシップに集中しようと思っていたので、2月末に帰国して3月に本腰を入れて就職活動をスタートしました。志望する就職先としては、利潤追求ではなく民間ではできない部分で国際的な開発に携われるパブリックな機関であること、そして今、何らかの困難に直面している人が未来に希望をもてるようになる、そんな仕事ができることを重視していました。最終的には国際協力や開発の業界で中心的な役割を担っていて、多様な支援スキームを有している独立行政法人国際協力機構(JICA)で経験を積みたいと考え、入職しました。就職活動中はオンライン中心でしたが、エントリーシートの添削や模擬面接で津田塾のキャリアセンター(現:学外学修・キャリアセンター)の方々に大変お世話になりました。
現在携わっているのはどのような仕事ですか。
教育、社会保障、保健医療分野を主管する人間開発部という部署に所属し、タイやASEAN地域の保健分野の案件管理や形成を担当しています。具体的には、災害等が発生した際に互いに助け合える国際医療チームの体制づくりを行うことで、ASEAN諸国を対象とした災害保健医療の連携を強化する案件や、その他、タイの医薬品登録制度の能力向上、細胞培養インフルエンザワクチンの製造能力強化のためのプロジェクト等を担当しています。活動が円滑に実施されるよう、関係者の方々と協議を行ったり、進捗状況や成果を確認するため現場を視察したり、状況に合わせて活動計画や内容の見直しを行ったり、といったことが主な業務です。また、相手国のニーズや日本の開発協力方針に合わせて、相手国政府や専門家等の関係者と協議を重ねながら、新しい案件を立ち上げるプロジェクト形成の機会もあります。
仕事を通じたやりがいはどんなところに感じますか。
幼少期から憧れていた仕事に就くことができているので、世界にいる人びとの選択肢や可能性をほんの少しでも広げることができたり、取り巻く環境をより良くしたり、今、自分がこの仕事を頑張ることでそういうサポートができたら幸せだなと感じています。また、関わる関係者も多いので意見調整など大変な部分もありますが、言語や文化の壁を超えて関係性を構築していきながら、同じ目標に向かって一緒に汗をかける部分がこの仕事の1つの醍醐味だと考えています。長期の案件に関しては、代々の担当者や関係者の想いも引き継ぎながら、プロジェクトで実施されていることが現地に定着し、よりよいインパクトに繋がるよう、関係者のネットワークや実施体制をさらに強固なものにする活動や仕組みづくりを考えられる部分も面白いなと感じています。

事業は公金で行われているため、日本という国、日本国民の方々の想いを背負っている立場でもありますが、津田塾で身につけた自ら考えて行動する力をしっかり発揮して頑張ろうと、日々思っています。


「変革を担う、女性であること」。このビジョンに背中を押されています。

最後に、津田塾を目指す高校生にメッセージをお願いします。
大学でしっかり勉強したいと考えている人にとっては、少人数授業で手厚いサポートのある学習環境はとても魅力だと思います。また、講義の中で意見を求められるなど自分の考えを言語化する機会が多く、考え行動する力を自然に身につけることができたと感じています。

加えて、少人数で落ち着いた大学でありながら単位互換制度など外部の大学との交流もあって本当に幅広く学ぶことができますし、学外学修では海外でのサマープログラムやインターンシップへの参加もサポートしてもらえます。機会があるたび、多方面で様ざまなことにチャレンジしている先輩や他の学生からの刺激も得られるので、落ち着いた環境の中で積極性や行動力を磨きたいと思う方には、津田塾大学はおすすめです。また、学生時代はあまり意識していませんでしたが、社会人になってから「変革を担う、女性であること」という津田塾のビジョンが自分の中にも根付いているような気がします。小さくてもよいので、世界のどこかでポジティブな変化を起こしていきたいという気持ちで日々の業務も頑張れていますし、そう思えるような“成長できる大学”に通えてよかったと実感しています。
※肩書等は取材当時のものです。
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