第2外国語で出逢う新たな世界とわたし
—津田塾と留学先ドイツで見えてきた将来

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沖野 愛里 OKINO Airi 

学芸学部国際関係学科 4年

英語教育に定評があり、「英語の津田」と称される津田塾大学。
実は英語だけではなく、第2外国語の学びも充実しています。今回は、学芸学部国際関係学科4年生の沖野さんに第2外国語の学びやドイツ留学の経験について話を聞きました。1年次から現在まで、第2外国語としてドイツ語を履修した沖野さんは、3年次にドイツのハインリッヒ・ハイネ大学デュッセルドルフに1年間留学。第3外国語としてフランス語、第4外国語としてスペイン語を履修するなど、幅広く語学の学びを深めています。

「語学で学びたい」との想いから、津田塾へ

高校生のときに参加したオープンキャンパスで津田塾大学の学習環境と少人数教育に魅力を感じ、入学したという沖野さん。入学後、どのような日々が待っていたのでしょうか。第2外国語の学びや、留学先のドイツでの出来事について話を聞きました。

まず沖野さんが津田塾に入学を決めた理由や、きっかけを教えてください。

津田塾の魅力は、学ぼうと思ったまさにそのタイミングで、さまざまな学びの機会を得られることです。学内が綺麗に整備され、緑も多く、ストレスフリーで学習できる環境。オープンキャンパスで感じた魅力そのものを日々の学生生活で実感しています。資料が充実しており、明るい外光が注ぐ開放的な図書館や、集中して勉強する際や息抜きにも利用できるAVライブラリ-など、授業時間外でも学び続けるモチベーションを維持できる場所が多いですね。教員と学生との距離感が近く、勉強に行き詰まったときにすぐに相談ができる雰囲気があるのも、入学の決め手の一つでした。

また、「語学を学ぶ」ことが主軸になっている大学で語学一辺倒の学生生活を過ごすよりも、「語学で学ぶ」ことができる津田塾で国際関係、政治、宗教、文学などを幅広く学びたいと思い、進学を決めました。

ホームステイ体験の悔しさから学びはじめたドイツ語

沖野さんがドイツ語を選択したきっかけはなんだったのでしょうか。その背景や、ドイツ語への想いを教えてください。
はじめてドイツ語に触れたのは、中学生のときです。 ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州にあるスイスとの国境に程近い小さな町に2週間ほどホームステイをしました。当時の私は、どうにかやっと片言の英語が話せるという程度。一方でホストファミリーはドイツ語しか話せず、家族とのやり取りは、英語でもドイツ語でもなく、ほとんどがジェスチャーや表情から推し量るような感じで......。次第に「もし言葉が理解できたら、違った世界が見えてくるに違いない」と思うようになり、この経験がドイツ語を学びはじめるきっかけになりました。

津田塾の第2外国語教育の魅力は1・2年次に「演習」「文法」の必修授業が組み込まれており、異なる視点から週2回、第2外国語に触れられることだと思います。課題もそれぞれ2回あり、苦労したこともありますが……。一週間のうちに少し時間をあけて、必然的に第2外国語に接する機会がもてるのは、今となってはよい経験だったと感じます。また、津田塾の第2外国語教育に携わっている先生は、言語に接することを心から楽しんでいる印象を受けます。用法や語彙を叩き込み、実践的に使えるレベルまでひたすら鍛錬するというよりは、言葉の響きを楽しんだり、言語から文化や政治にまで世界を広げたり。「教える/教わる」という典型的な言語学習の体系と比べると、柔軟で緩やかな学問領域を総合的に学習できると感じます。

授業以外でも、第2外国語を学べる機会があります。ネイティブの先生や留学生と話したり、チャットルームに行ったりと、お金をかけることもなく、第2外国語に触れることができます。

第2外国語や第3外国語を学ぶことで、自分自身の言語感覚が徐々に豊かに、そして鋭敏になっていく感覚が、私にとっての外国語学習のおもしろさです。一方で外国語を学ぶ難しさは、言語学習にゴールや妥協点はなく、とにかく学習を続けるしかないという点。 第2外国語を勉強するなかで、「○○検定△級合格、●●点以上」という目標は意外にも達成しやすく、私にとっては、自分自身を本当に納得させるものではないと気づきはじめました。私が理想とする言語運用能力は単に資格試験やスコアにより達成度が測れるようなものではないと思ったからです。そう考えると何をもってゴールとするのか、設定が難しく学習のモチベーションを安定させるのは非常に難しいですね。
ドイツ語とフランス語の教科書。特にドイツ語の教科書はお守りのような存在で、語学を学ぶワクワク感を思い出させてくれる、私にとっては原点回帰のための一冊。



“当たり前”が通じない国で挑戦すべく、ドイツへ

実はご両親からも英語圏への留学を勧められていたという沖野さん。最終的になぜドイツ留学を決めたのでしょうか。
「自分が異なる文化、環境のもとで、どれほどサバイブできるのか」という疑問に対する答えを探りたくて、留学を決意しました。日本で生まれ育った私にとって、この国では全てができて「当たり前」。多くの人にとっての大前提や常識が、全く通じない場所、「日本の常識、世界の非常識」を経験できる環境下に身を投じようと思いました。 そうすることで、私自身のコミュニケーション能力、生活スキルなどのポテンシャルを把握し、不足している能力も身をもって知ることができるのではないかと考えたのです。英語圏ではなく、ドイツへの留学を決めたのは、英語はドイツ語に比べて多少は使いこなせる言語だったので、ドイツ留学の方がよりストレスを感じるだろうし、サバイバル感がでるかなと(笑)。

留学を視野に入れてから、「ドイツ語技能検定試験」と「Goethe-Zertifikat」(ゲーテ・ツェアティフィカート)の取得に向けて勉強しました。どちらかというと、前者は日本語話者向けの能力試験、後者は国際的に認められているドイツ語能力試験です。また、先生に紹介してもらった学外の語学学校にも集中的に通い始めました。もともと私費留学を考えていたのですが、タイミングよくハインリッヒ・ハイネ大学との協定が締結されて。面接や筆記試験などの学内選考を経て、無事に協定校留学が決まりました。

グループワークに苦心したドイツ語作文の授業

言葉や文化も違う異国の地ドイツでは、日本とは異なる授業形態で当初は戸惑うことも多かったという沖野さん。どのように乗り越え、学びを深めていったのでしょうか。
現地では、ドイツ語、英語、スペイン語、ドイツ史、日本史の授業などを受講しました。クラスの雰囲気は授業形式によってさまざまでしたが、言語の授業の雰囲気は明るくて活発でした。大変だったのは、ドイツ語の作文の授業や英語のプレゼンといった、グループでの課題がメインの授業です。協力して一つのエッセイや答えを出さなければならないのですが、グループのメンバーは自分の意見をただ言うばかりで……(笑)。人の話も聞かず、誰かが話をしていても割り込むことは日常茶飯事。収集がつかず、苦労しましたね。そのなかでも聞き役やまとめ役に徹することで、なんとか課題をやり遂げました。そんな私を先生はしっかり見てくれていて、グループ内での私の役割を評価してくださったことも励みになりました。

ドイツ語を学んだからこそ実現した、8年越しの交流

平日は朝から晩まで授業ということも多かったので、大学の寮や学内で授業の予習・復習をして、休日になると各地へ放浪の旅に出ていました。特に印象に残っているのは、中学生のときにお世話になったホストファミリーと8年ぶりに再会したことです。待ち合わせの駅のホームでホストファミリーの姿を見つけ、後ろから声をかけたんです。振り向きざまに私だと気づき、とても驚いていました。てっきり現地のドイツ人に声をかけられたと思ったホストファミリーは、「なんだ、アイリじゃないの!」と。日本から連絡するときには、SNS上でテキストでのやり取りが主だったので、まさか本当に私がドイツ語を話せるようになっているとは思ってもいなかったようです。「上手になったね。書けるだけじゃなくて、こんなに喋れるようにもなっていたなんて!」と、ドイツ語を話す私に感動してくれました。その後、8年前に一緒に行った思い出の地を巡りながら、ジェスチャーではなく、互いにドイツ語で語り合えるというのは、なんとも感慨深いものがありました。

ドイツ語が話せなかった8年前、ホストファザーは寡黙で少し怖い雰囲気の人だと思っていましたが、ドイツ語を話せるようになった私にはたくさん話しかけてくれました。ドイツ語を理解できるようになったからこそ、打ち解けられたのだと思います。なかには、「あのときの日本人の子!」と覚えてくださっていた町の方もいて、8年の歳月を短くも感じましたね。
現地で出会ったグアテマラとスロバキアからの留学生と。近々、グアテマラでの同窓会を計画中。
ひとり放浪の旅へ。イタリアのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」にて。

現地での経験を糧に、新たな分野と語学を学び続けたい

異国の地では、すべてが順風満帆だったわけではなく、思わぬトラブルもあったようです。さまざまな経験を経て帰国し、大学卒業後はIT業界に進む沖野さん。今後の目標、津田塾を目指す方や語学留学を志す方へ、メッセージをお願いします。
留学中はさまざまなトラブルにも遭遇し、自分の思いや考えをうまく伝えられずに悔しい思いをすることもしばしば。近隣諸国を訪れる際、ストライキにあったり、ビザが取得できておらず長時間空港に拘束されてしまったりしたことも……。どうやら期限内にビザが取れていなかったようで、それを知らずに空港に行ってしまい、「あなた、不法滞在しているじゃないの」と言われてしまったんです。「座らず、そこに立て」と言われ、直立不動でひたすら空港で待つはめに。当初、ドイツ語よりも得意な英語でやりとりをしていたのですが、次第に埒が明かないなと思いはじめ、思い切って係員に「私、あなたのドイツ語を頑張って理解するので、ドイツ語で話し合いましょう」と提案。その途端、英語のときは無愛想で邪険な態度を取っていた相手も、私がドイツ語で話しはじめてからは、「まあ、今回は書類で勘弁してやるか」と、状況が一変。ついに拘束を解いてくれたんです。自分の意思が完全に相手には伝わらなくとも、私はあなたのことを理解しようとしているんだという誠意を見せることで、問題の解決につながることもあるのだと。必ずしも、お互いがちゃんと意思疎通できる言語じゃなくてもいい。大切なのは、相手に歩み寄る姿勢なのだと実感しましたね。

このような体験から、自分なりに問題を乗り越える力を身につけました。自分がどういうシチュエーションで落ち込んで、どういうセルフケアをすれば回復できるのか自己分析をし、自分自身をより深く知ることができました。今後予期しない人生のトラブルにおいても、「私なら乗り越えられる」という自信にもなりました。今回の留学をとおして、私自身「成長した」というよりは、「成熟した」という感覚が強くあります。帰国後、周囲からは「より芯がしっかりしたね」と言われるようになりました。

私が留学で滞在したデュッセルドルフという街には、日本の企業も多く、いろいろと見聞きしているうちに「これから世界で必要とされるインフラはITだな」と、思いはじめました。国を問わず働きたいと考えたとき、世界のどこにでもあり、必要とされる業種ではないかと。そのため、留学前にはまったく想像もしていなかったIT業界を第一志望に就職活動をしました。おかげで、バイリンガルエンジニアとしてIT業界への就職が決まり、大学で学んできたことに加えて、新たに勉強すべき分野が出てきました。仕事に必要な専門知識はもちろんのこと、業界全体が英語の運用能力や第2外国語にも強い人材を求めている昨今、津田塾で培った語学力を継続して向上させていきたいと思います。

英語が世界共通語と言われているこのご時世において、英語以外の言語を学ぶことで見えてくる未来はそれほど具体的ではないかもしれません。ですが、異なる言語を学ぶことで出会う新たな文化、価値観、友人は、思いがけないところで自分自身と化学反応を起こします。そんな語学の扉を開く鍵がたくさん転がっているのが津田塾だと思います。
※学年は取材当時のものです。
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