ことばの形と意味 普遍性と多様性
私の専門は英語学、言語学です。世界のさまざまな言語は、文字も発音も多様であり、文法の形式も一見全く異なっているように見えますが、一方で「人間のことば」としての共通した性質をもっていることも事実です。そのようなことばの普遍性と多様性との関係について研究することは大変面白く、興味が尽きることはありません。
私は英語と日本語および、その他の言語間の比較に興味があり、それぞれの言語において形式と意味がどのように結びついているかについて研究しています。例えば、日本語や韓国語には「は」と「が」に相当する助詞の区別がありますが、そのような区別は英語にはありません。英語においては、それに相当する役割の一部を音声的なもの(イントネーション)の区別が担い、また、その一部をaとかtheとかの冠詞が担っているといえるかもしれません。ある言語にみられる認識や判断の型を、言語一般としてみたとき、どのように言語形式に投影されるのか、興味深いです。
また、ご存じのように、日本語は主語を省くことが普通にあります。むしろ、主語があると、不自然になってしまうケースが多いのです。例えば、「私はおなかがすいたので、私はいったん帰ります」という表現よりも、「おなかがすいたので、いったん帰ります」と言うほうが自然ですよね。しかし、英語では、通常、主語を省くことは許されません。主語どころか、文脈でわかっていても、目的語や所有格をはじめ、埋めるべきスロットはすべて埋めなければならないのが英語です。I have a ball in my hand. I’ll give it to you. というふうな具合です。日本語なら、話し相手に示しながら、「さしあげますね」で済まされるところです。
そのため、英語ではyou/your、he/his/him、she/herといった代名詞が頻繁に登場しますが、日本語ではそうではありません。「あなた」「彼」「彼女」という言葉はぎこちなく、誰に対しても、どんな場合にでも使えるような言葉でないことに気づくと思います。身近なところにも、ことばの謎はいたるところにあります。そういう現象を見つけながら、英語、ドイツ語、フランス語…というようなヨーロッパ系の言語や、日本語や韓国語のようなアジア系の言語など、身近にある言語、自分が興味をもった言語の姿を観察していきます。
私は英語と日本語および、その他の言語間の比較に興味があり、それぞれの言語において形式と意味がどのように結びついているかについて研究しています。例えば、日本語や韓国語には「は」と「が」に相当する助詞の区別がありますが、そのような区別は英語にはありません。英語においては、それに相当する役割の一部を音声的なもの(イントネーション)の区別が担い、また、その一部をaとかtheとかの冠詞が担っているといえるかもしれません。ある言語にみられる認識や判断の型を、言語一般としてみたとき、どのように言語形式に投影されるのか、興味深いです。
また、ご存じのように、日本語は主語を省くことが普通にあります。むしろ、主語があると、不自然になってしまうケースが多いのです。例えば、「私はおなかがすいたので、私はいったん帰ります」という表現よりも、「おなかがすいたので、いったん帰ります」と言うほうが自然ですよね。しかし、英語では、通常、主語を省くことは許されません。主語どころか、文脈でわかっていても、目的語や所有格をはじめ、埋めるべきスロットはすべて埋めなければならないのが英語です。I have a ball in my hand. I’ll give it to you. というふうな具合です。日本語なら、話し相手に示しながら、「さしあげますね」で済まされるところです。
そのため、英語ではyou/your、he/his/him、she/herといった代名詞が頻繁に登場しますが、日本語ではそうではありません。「あなた」「彼」「彼女」という言葉はぎこちなく、誰に対しても、どんな場合にでも使えるような言葉でないことに気づくと思います。身近なところにも、ことばの謎はいたるところにあります。そういう現象を見つけながら、英語、ドイツ語、フランス語…というようなヨーロッパ系の言語や、日本語や韓国語のようなアジア系の言語など、身近にある言語、自分が興味をもった言語の姿を観察していきます。

