津田塾から世界へ— “一生もの”の語学で、世界を相手に働くということ
和田一美 WADA Kazumi
OGとして、現役の会議通訳者として伝えたい
語学との向き合い方
2018年度から「翻訳・通訳プログラム」の授業を担当しています。実は2年ほど前に本帰国したばかりで、それ以前は夫の仕事の都合で9年ほど海外生活を送っていました。赴任地は最初の3年半はニューヨーク、次の1年半はアルジェリア、最後の4年はフランスのストラスブールでした。ご縁があって、津田塾の卒業生かつ現役の通訳者ということでお声がけいただき、母校で教えることになりました。津田塾の学生は昔も今も変わらず真面目で、授業に真摯に取り組む姿がとても印象的です。学生には、なるべく実践で使える活きた英語を学んでほしいと思っています。そのため、各タームでは受講者全員でまずテーマを決めます。今年度は「企業経営」、昨年度は「経済」がクラスのテーマになりました。
時間がある学生のうちにできるだけ見識を深めてほしいとの想いから、昨年度は、休講の日に学生と一緒に東京証券取引所(東証Arrows)へ見学とレクチャーを受けに行きました。実際、日々どのように数字が動き、私たちに影響を与えているのかを感じてほしかったためです。社会に出れば、切っても切り離せない経済という分野に苦手意識をもつ文系の学生も多いのですが、株価や為替の動きをはじめ、日本の企業ひいては世界全体の動きに繋がっている現実を知っているのと知らないのとでは、通訳する際の伝え方にも大きな違いがでてきます。語学だけではなく、周辺の背景や文化などさまざまな分野にも興味を広げていかないと、どうしても行き詰まってしまう。いま教えている学生が社会に出たとき、少しでもプラスになるよう、実践的な学びを通して活きた情報を糧にしてほしいです。また、社会人の共通言語とも言える「数字」については、学生にしっかり教えるようにしています。基礎力・語彙力増強という意味でも、クイックレスポンスで反射的に答える力を養うことが大切です。私自身が通訳学校に通っていたころ、数字の訳には苦労したので、学生には少しでも早くその能力を身につけてほしいと思っています。
今年度、「CLI9(Critical Link International 9)」という国際会議が東京で開催されました。主催者のご厚意で通訳の授業を開講する大学から学生代表が集まり、同時通訳に挑戦する機会を提供することになりました。「チャンスの神様は前髪しかないから」と、なかでも実力がある学生1名を推薦し、参加を勧めました。もう1名、将来国際舞台で通訳できるようになりたいという学生がおり、彼女はこの同時通訳プロジェクトのために準備された一連のトレーニングに励み、遂に憧れの同時通訳のチャンスを手に入れました。通訳以外でもボランティアのスタッフとして参加した学生もいました。残念ながら、当日私は別の仕事で参加できなかったものの、その2名がしっかり同時通訳をやり遂げたという話を聞き、自分のことのように嬉しかったです。日頃から、「自分にとってどのような機会がチャンスになるのだろうか」と考えていないと、せっかくのチャンスが来たときになかなか掴みとれない。学生には、どんなチャンスも逃さず、積極的に自分の興味・関心に沿って行動して、自ら夢を掴み取ってほしいと思っています。
泣きながら学んだ津田塾大学での日々
津田梅子先生の存在と、津田塾大学に入学した高校時代の先輩の影響で、津田塾に進学することに決めました。高校3年生の春、帰省した先輩に大学生活の話を聞いたところ、真面目な学生さんが多くて、深い英語の学びができて……と、まさに私が身をおきたいと思う環境が揃っているなと感じました。最近、大庭みな子さんの『津田梅子』 (朝日新聞出版) を読んだのですが、英語教育にかける情熱に改めて感銘を受けました。
当時、地元の山口県から上京、入学してまず思ったことは「私は英語ができない」ということでした。もちろん受験英語はある程度できたかなと思うのですが、リスニングやスピーキングとなると、なかなか上手くいきませんでした。また、当時、地元にはほとんど外国人がいなかったので、ネイティブスピーカーと話をしたこともなく……。映画やドラマでしか外国人を見たり、生の英語を聞いたりしたことがなかった私は戸惑いました。クラスには帰国子女や、すでに高校で第2外国語も学んでいるような、いかにも英語ができる学生が多く、入学して最初の1ヶ月は泣いて暮らしていました。それから「このままではダメだ」と思い立ち、日本にいながらもすべて英語を中心とした生活に切り替えました。例えば、毎日、時間をかけて英字新聞を音読する。映画も決して吹替ではなく、字幕で鑑賞する。また、外国の小説も翻訳と共に原語でも読み解くようにしました。わからない単語や表現に出会ったら、例文なども含めてメモする。NHKの7時からのニュースは日本語で聞いて、報道内容をノートに書き写しておく。その後の9時からのニュースは、しっかり意味を捉えられているか、英語で聞く。いわゆる時事英語がどのような文脈で使われているのか、最初は単語レベルでしか聞き取れなかったものの、次第に文章レベルで意味を理解できるようになりました。更には日本語にしろ、英語にしろ、キャスターや放送通訳者の発言をそのままシャドーイング(即座に復唱)する。そこで判明した分からないことは、その背景や歴史までとことん調べる。そんな生活を1年以上毎日毎日続けました。今となっては効果があったかどうかわかりませんが、睡眠学習として、寝るときでさえもエンドレスで英語を流していました(笑)。
大学2年生の夏休みには、生まれて初めて一人で海外に行きました。アメリカの大学の夏期講習に参加したときには、現地の人の話が理解できて嬉しかったです。ただ英語を聞くだけではなく、会話の中で、テンポよく、相手が伝えたいことが英語で分かるという実感がもてた。その後、英語とフランス語の両方の言語に触れたいと思い留学したカナダのモントリオール大学時代には、はじめて出会う英語・フランス語の単語をすべてノートに書き写していました。いくつか意味をもつものはすべての例文を書き写し、辞書でチェックした箇所にはその都度、赤線を引いていました。現在も続けていますが、移動中などのスキマ時間も無駄にせず、時間を見つけてはノートを見返しています。
語彙や例文を書きとめるなど、ノートの取り方は人それぞれですが、通訳者になってから出会った通訳者はみな同じようにノートを取ることを習慣にしています。プロにとっては当たり前のことですが、結果的に、現在の通訳の仕事にも活かされているなと思います。また、後々分かったことなのですが、当時「英語で落ちこぼれている」と感じていたのは、実は私だけではなかったようです(笑)。口に出さないだけで、みな危機感を覚えて、それぞれ必死に勉強をしていたのだと知りました。
国や言葉の壁を超え、通訳者を目指して世界へ
そんな英語・フランス語漬けの学生生活を終え、卒業後は外資系の証券会社に入社しました。仕事はとてもやりがいのあるものだったのですが、残念ながら体調を崩してしまって。仕事も大変だし、どんどん体力が削がれてしまい、発作のため眠れない日々が続き、これはまずいと一度会社を辞め、実家に帰ることにしました。その後、体調が快復して、英語やフランス語を教えはじめましたが、10代の頃からの「通訳者になりたい」という想いは変わらず、どこか自分では満足できないままでいました。そんなとき、たまたまモントリオール大学留学時代の知人から、外務省の派遣員制度の話を聞きました。語学が必須となる在外公館へのインターンのような制度で、2年間在外公館で準外交官として勤務して、国際舞台でさまざまな経験が積めるというもの。パリの大使館に派遣員として勤務した知人の話を聞き、貴重な経験になるのではないかと応募を決意しました。その後、2度目の試験で合格し、スイスの在ジュネーブ日本政府代表部に派遣されることが決まりました。
教員として、通訳者として、語学を志す人に伝えたいこと
また、かつての私のように、「英語を学びたい」「世界を知りたい」という高校生の方には、ぜひ津田塾で学んでほしいです。やる気さえあれば、その熱量に応えるだけの機会がここにはたくさんあります。特に英語に関しては、きめ細やかでさまざまなアプローチの授業があり、選ぶのに迷ってしまうほどです。さらに、津田塾ではお互いを励ましたり、切磋琢磨し合ったりと、学生同士がよい刺激を与え合っています。学ぶことに対して人一倍ポジティブな学生が多いので、社会に出てからもこの姿勢は自ずと生き続けると思います。津田塾での学びを糧にし、「チャンスの神様」を常に意識して、ぜひ自分の夢も、世界も広げていってほしいです。