津田塾から世界へ— “一生もの”の語学で、世界を相手に働くということ

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和田一美 WADA Kazumi

津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。在学中、1年間カナダのモントリオール大学で学ぶ。大学卒業後は、外資系企業勤務を経て、外務省の派遣員としてジュネーブで勤務。帰国後、社内通訳者として従事。9年間の海外滞在時も含め、現在は日本語、英語、フランス語でのフリーランス会議通訳者として活躍中。津田塾大学で特設された「翻訳・通訳プログラム」の「通訳入門」の非常勤講師もつとめる。
グローバル化が加速する国際社会で求められる高度な翻訳・通訳の技術修得を目的に、津田塾大学英語英文学科で開設されている「翻訳・通訳プログラム」。本学の卒業生で、第一線で会議通訳者として活躍しながら教壇に立つのが和田一美先生です。語学との向き合い方や、会議通訳者になる夢を叶えるまでのお話を聞きました。

活きた語学を学べる「翻訳・通訳プログラム」

津田塾大学では、3・4年生を対象に、卒業後も社会で求められる英語翻訳・通訳のレベルが身につけられるよう、特設プログラムの1つとして「翻訳・通訳プログラム」を用意しています。1・2年次に培った英語力を基に理論だけでなく実践をしっかり学べるようにカリキュラムが構成されています。第一線で活躍する講師が、『Financial Times』などの新聞・雑誌記事、映画の字幕・パンフレット、国際会議の映像やプロシーディングス(会議論文をまとめて冊子にしたもの)など、実際に海外で使われているものを教材として選び活用しています。
1・2年次の英語教育の積み上げを基に展開するという特徴があるので、単に翻訳・通訳のテクニックを学ぶだけではなく、「聞く・話す・読む・書く」という総合的な英語の技能の向上を目的にしている点が特徴です。また、このプログラムは、学生が学科の専門コースと同時に履修することが可能で、「専門領域+αの学び」を基本としています。プロの翻訳者・通訳者になるのは困難な道のりですが、卒業後も翻訳・通訳に関わったり、ほかにも、教職、教材開発、一般企業の海外広報など、さまざまな分野でことばに関する仕事に就き、活躍している卒業生もいます。
「通訳入門1」の授業風景。授業では、通訳に必要となる基礎を学びます。



OGとして、現役の会議通訳者として伝えたい
語学との向き合い方

現在、「翻訳・通訳プログラム」の「通訳入門」の講師を務める和田先生。授業では、具体的にどのようなことを扱うのでしょうか。

2018年度から「翻訳・通訳プログラム」の授業を担当しています。実は2年ほど前に本帰国したばかりで、それ以前は夫の仕事の都合で9年ほど海外生活を送っていました。赴任地は最初の3年半はニューヨーク、次の1年半はアルジェリア、最後の4年はフランスのストラスブールでした。ご縁があって、津田塾の卒業生かつ現役の通訳者ということでお声がけいただき、母校で教えることになりました。津田塾の学生は昔も今も変わらず真面目で、授業に真摯に取り組む姿がとても印象的です。学生には、なるべく実践で使える活きた英語を学んでほしいと思っています。そのため、各タームでは受講者全員でまずテーマを決めます。今年度は「企業経営」、昨年度は「経済」がクラスのテーマになりました。

時間がある学生のうちにできるだけ見識を深めてほしいとの想いから、昨年度は、休講の日に学生と一緒に東京証券取引所(東証Arrows)へ見学とレクチャーを受けに行きました。実際、日々どのように数字が動き、私たちに影響を与えているのかを感じてほしかったためです。社会に出れば、切っても切り離せない経済という分野に苦手意識をもつ文系の学生も多いのですが、株価や為替の動きをはじめ、日本の企業ひいては世界全体の動きに繋がっている現実を知っているのと知らないのとでは、通訳する際の伝え方にも大きな違いがでてきます。語学だけではなく、周辺の背景や文化などさまざまな分野にも興味を広げていかないと、どうしても行き詰まってしまう。いま教えている学生が社会に出たとき、少しでもプラスになるよう、実践的な学びを通して活きた情報を糧にしてほしいです。また、社会人の共通言語とも言える「数字」については、学生にしっかり教えるようにしています。基礎力・語彙力増強という意味でも、クイックレスポンスで反射的に答える力を養うことが大切です。私自身が通訳学校に通っていたころ、数字の訳には苦労したので、学生には少しでも早くその能力を身につけてほしいと思っています。

今年度、「CLI9(Critical Link International 9)」という国際会議が東京で開催されました。主催者のご厚意で通訳の授業を開講する大学から学生代表が集まり、同時通訳に挑戦する機会を提供することになりました。「チャンスの神様は前髪しかないから」と、なかでも実力がある学生1名を推薦し、参加を勧めました。もう1名、将来国際舞台で通訳できるようになりたいという学生がおり、彼女はこの同時通訳プロジェクトのために準備された一連のトレーニングに励み、遂に憧れの同時通訳のチャンスを手に入れました。通訳以外でもボランティアのスタッフとして参加した学生もいました。残念ながら、当日私は別の仕事で参加できなかったものの、その2名がしっかり同時通訳をやり遂げたという話を聞き、自分のことのように嬉しかったです。日頃から、「自分にとってどのような機会がチャンスになるのだろうか」と考えていないと、せっかくのチャンスが来たときになかなか掴みとれない。学生には、どんなチャンスも逃さず、積極的に自分の興味・関心に沿って行動して、自ら夢を掴み取ってほしいと思っています。




泣きながら学んだ津田塾大学での日々

熱心に学生の指導にあたる和田先生ですが、ご自身は、どのような津田塾生だったのでしょうか。

津田梅子先生の存在と、津田塾大学に入学した高校時代の先輩の影響で、津田塾に進学することに決めました。高校3年生の春、帰省した先輩に大学生活の話を聞いたところ、真面目な学生さんが多くて、深い英語の学びができて……と、まさに私が身をおきたいと思う環境が揃っているなと感じました。最近、大庭みな子さんの『津田梅子』 (朝日新聞出版) を読んだのですが、英語教育にかける情熱に改めて感銘を受けました。

 

当時、地元の山口県から上京、入学してまず思ったことは「私は英語ができない」ということでした。もちろん受験英語はある程度できたかなと思うのですが、リスニングやスピーキングとなると、なかなか上手くいきませんでした。また、当時、地元にはほとんど外国人がいなかったので、ネイティブスピーカーと話をしたこともなく……。映画やドラマでしか外国人を見たり、生の英語を聞いたりしたことがなかった私は戸惑いました。クラスには帰国子女や、すでに高校で第2外国語も学んでいるような、いかにも英語ができる学生が多く、入学して最初の1ヶ月は泣いて暮らしていました。それから「このままではダメだ」と思い立ち、日本にいながらもすべて英語を中心とした生活に切り替えました。例えば、毎日、時間をかけて英字新聞を音読する。映画も決して吹替ではなく、字幕で鑑賞する。また、外国の小説も翻訳と共に原語でも読み解くようにしました。わからない単語や表現に出会ったら、例文なども含めてメモする。NHKの7時からのニュースは日本語で聞いて、報道内容をノートに書き写しておく。その後の9時からのニュースは、しっかり意味を捉えられているか、英語で聞く。いわゆる時事英語がどのような文脈で使われているのか、最初は単語レベルでしか聞き取れなかったものの、次第に文章レベルで意味を理解できるようになりました。更には日本語にしろ、英語にしろ、キャスターや放送通訳者の発言をそのままシャドーイング(即座に復唱)する。そこで判明した分からないことは、その背景や歴史までとことん調べる。そんな生活を1年以上毎日毎日続けました。今となっては効果があったかどうかわかりませんが、睡眠学習として、寝るときでさえもエンドレスで英語を流していました(笑)。

大学2年生の夏休みには、生まれて初めて一人で海外に行きました。アメリカの大学の夏期講習に参加したときには、現地の人の話が理解できて嬉しかったです。ただ英語を聞くだけではなく、会話の中で、テンポよく、相手が伝えたいことが英語で分かるという実感がもてた。その後、英語とフランス語の両方の言語に触れたいと思い留学したカナダのモントリオール大学時代には、はじめて出会う英語・フランス語の単語をすべてノートに書き写していました。いくつか意味をもつものはすべての例文を書き写し、辞書でチェックした箇所にはその都度、赤線を引いていました。現在も続けていますが、移動中などのスキマ時間も無駄にせず、時間を見つけてはノートを見返しています。

語彙や例文を書きとめるなど、ノートの取り方は人それぞれですが、通訳者になってから出会った通訳者はみな同じようにノートを取ることを習慣にしています。プロにとっては当たり前のことですが、結果的に、現在の通訳の仕事にも活かされているなと思います。また、後々分かったことなのですが、当時「英語で落ちこぼれている」と感じていたのは、実は私だけではなかったようです(笑)。口に出さないだけで、みな危機感を覚えて、それぞれ必死に勉強をしていたのだと知りました。

国や言葉の壁を超え、通訳者を目指して世界へ

そんな英語・フランス語漬けの学生生活を終え、卒業後は外資系の証券会社に入社しました。仕事はとてもやりがいのあるものだったのですが、残念ながら体調を崩してしまって。仕事も大変だし、どんどん体力が削がれてしまい、発作のため眠れない日々が続き、これはまずいと一度会社を辞め、実家に帰ることにしました。その後、体調が快復して、英語やフランス語を教えはじめましたが、10代の頃からの「通訳者になりたい」という想いは変わらず、どこか自分では満足できないままでいました。そんなとき、たまたまモントリオール大学留学時代の知人から、外務省の派遣員制度の話を聞きました。語学が必須となる在外公館へのインターンのような制度で、2年間在外公館で準外交官として勤務して、国際舞台でさまざまな経験が積めるというもの。パリの大使館に派遣員として勤務した知人の話を聞き、貴重な経験になるのではないかと応募を決意しました。その後、2度目の試験で合格し、スイスの在ジュネーブ日本政府代表部に派遣されることが決まりました。

在ジュネーブ日本政府代表部の現地職員たちと
現地での仕事は各公館により異なるのですが、私は当初から「英語、フランス語を活用した仕事がしたい」と伝えていたので、上司などからも関連する仕事を割り振ってもらっていました。「英語もフランス語もできるなら」と、逐次通訳をするチャンスもいただき、赴任中は会議資料が保存されているデータベースで分野を絞り、集中的に通訳の勉強をしました。当時は、現職の閣僚や元総理・閣僚の国会議員・VIPの方々が、国連機関が多く集まるジュネーブにいらしていたので、便宜供与の一環で語学を活かして働いていました。とにかく通訳の経験を積みたい。その一心で、プライベートでも積極的に通訳していました。週末に館員やそのご家族たちと一緒にスキーに行ったり、街に出かけたりした際に、会話の橋渡しをしていました。すると、ある館員が「会議の準備を手伝ってみる?」と提案してくださって。当時20代の私は、一番の若手。どうしても生の通訳の現場が見てみたかった私は、下調べから当日の資料整理まで、一生懸命に準備しました。その努力が認められたのか、やがてより大きな会議などにも携わらせてもらえるようになりました。その経験は、今の自分にも大きく影響しています。日米自動車交渉や北朝鮮をめぐる六者会合などでは各国からの一流の会議通訳者たちの仕事ぶりに度肝を抜かれ、「私もこの仕事に就きたい」と、想いを強くしました。
NY国連本部の会議場
国連の同時通訳ブース内の様子
また、しかるべき地位の人たちが話す英語やフランス語はまったく異なるもので、自分がスピーチなど原稿を作成したときには、ネイティブスピーカーにチェックしてもらい、適切な表現をいろいろと教えてもらいました。「この文脈では、こういう使い方はしない」とか、「これだと、ちょっと幼稚な言い方だ」とか。英語にしても、フランス語にしても、当時の私の語学力はまだ仕事で使えるものではないと思い知らされたのです。外務省の派遣員時代は間違いなく私の人生で一番の転機であり、今の私があるのはこの経験があったからだと言えます。
NY国連本部での会議で同時通訳をした際、関連イベントで軍縮問題に関心を寄せる国連ピース・メッセンジャーのマイケル・ダグラス氏と共に。



教員として、通訳者として、語学を志す人に伝えたいこと

現在も、月平均10〜20本の通訳をこなしフリーランスの会議通訳者として多忙な日々を送りながらも、母校で後輩に活きた語学を教える和田先生。今だからこそ、学生に伝えたいことを聞きました。

最近は電話会議なども増え、海外に赴く機会も減ってきてはいますが、某医学分野の世界的権威の通訳のため、スペインには毎年必ず行っています。また、ジュネーブに本社がある「国際標準化機構(ISO)」では複数の代表団からご指名いただき、通訳をしています。今年11月には中国の杭州にも行く予定です。会議通訳者が本職なので、活きた語学や実践的な力を身につけてほしいと思って教壇に立っています。厳しい言い方になるかもしれませんが、「このクラスを受講したからといって、通訳者になれると思わないでほしい」と、学生に伝えています。ある日、とある学生が「就職活動が忙しく、授業以外に割ける時間がなかなかない」と正直に言ってきました。「できる限りでいいから、効率的に自分に必要だと思う勉強をしてみなさい」とアドバイスをしたところ、次の週、彼女だけが先週の授業でできなかった課題ができるようになっていて、本当に驚きました。実は彼女、空き時間に私が伝えた勉強法を実践していたそうです。授業で視聴した動画のURLをメモしておいて、食事を作るときにも聴いていたと。その後、彼女から語学を活かせる第一志望の進路に無事進むことができたと報告があり、本当に嬉しかったです。フリーランスの会議通訳者という仕事柄、日頃から自分自身と向き合う機会は多いのですが、教えている学生の成長が目に見えるというのは、教える立場の人間として私自身の励みにもなっています。

また、かつての私のように、「英語を学びたい」「世界を知りたい」という高校生の方には、ぜひ津田塾で学んでほしいです。やる気さえあれば、その熱量に応えるだけの機会がここにはたくさんあります。特に英語に関しては、きめ細やかでさまざまなアプローチの授業があり、選ぶのに迷ってしまうほどです。さらに、津田塾ではお互いを励ましたり、切磋琢磨し合ったりと、学生同士がよい刺激を与え合っています。学ぶことに対して人一倍ポジティブな学生が多いので、社会に出てからもこの姿勢は自ずと生き続けると思います。津田塾での学びを糧にし、「チャンスの神様」を常に意識して、ぜひ自分の夢も、世界も広げていってほしいです。

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