仲間からの刺激と多彩な経験で、
可能性を広げてくれた津田塾での4年間。

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渡邊 あゆ美 WATANABE Ayumi

学芸学部 国際関係学科 2018年卒業

小学生の頃の体験をもとに国際的な学びを深めたいという想いで津田塾に進学した渡邊あゆ美さん。在学中にオーストラリアへ1年間留学するなど、さまざまな経験を経て、卒業後は全日本空輸株式会社(ANA)へグローバルスタッフ職として入社。現在はANAグループ会社であるANA X株式会社でビジネスの最前線に立って活躍されています。
世界中に友人をもち、志望度の高かった会社へ入社して活躍。さらにお二人のお子さんを育てながら働くワーキングマザーでもある彼女に、津田塾での学びや体験が、人生にどのように活きているかを伺いました。

世界中で活躍する友人たちの存在が大きいです。

津田塾を志望した背景を教えてください。
私が津田塾を志望した主な理由は、語学を含めた国際関係の勉強をしたいと思っていたこと、そして少人数できめ細やかな指導を受けられると感じたからです。もともとの第一志望は国立大学だったのですが、そちらも少人数教育が特長の大学でしたし、大きな大学よりも小規模な大学で丁寧な指導のもと、学びを深めたいと考えていました。
通っていた高校は7:3ぐらいの割合で男子の方が多い学校だったので、女子大での生活はあまり想像ができなかったのですが、入学すると非常に心地よい雰囲気で、自分の好きなことに集中できる環境だと思いました。 
国際関係の勉強をしたいと思ったきっかけを教えてください。
小学6年生の時に地元の市で行われた「国際平和スピーチコンテスト」で最優秀賞をいただき、ニューヨークの国連本部を訪問したことがありました。当時の国連事務総長だったコフィー・アナンさんとお会いする機会もあり、その一連の経験がとても印象深かったのが国際関係に興味を持ち始めたきっかけだと思います。
私の両親は海外経験があったわけでもありませんし、私自身も飛行機に乗ったことさえないような、“国際”とは無縁の家庭で育ったのですが、ニューヨークでの経験を通して初めて、自分の知らない世界がこんなにも日本の外に広がっているのか、と気が付きました。世界のことをもっと知りたい。英語を勉強したら皆が話していることがもっと分かるんじゃないか。この時に感じた思いが漠然と大学進学時にまで続いていた感覚です。
 入学してみて、少人数教育にはどのような印象を受けましたか。
小学校から高校までのような「クラス」はないものの、津田塾大学では4年間にわたって少人数のセミナーや語学のクラスで学科の同期と密にかかわるので、自然と絆が強くなっていくんです。津田塾で出会った仲間たちは、現在文字通り世界中に散らばって活躍していますが、卒業後時間を経過した今でも変わらず交流が続いています。
大学というと、階段状になった大教室での講義を受けるイメージを思い浮かべがちですが、津田塾で強く印象に残っているのは少人数で1つのテーブルを囲んで議論をするような授業。仲間との距離も近いので、大変な時も協力してモチベーションを高め合えるような結束力がありました。特にクラスやセミナーでは、お互いを刺激し尊敬し合える素晴らしい友人たちと出会うことができました。今改めて振り返ると、これも少人数教育を大切にしている津田塾だからこその出会いだったと感じています。
思い出に残っている授業はどんなものですか。
特に思い出深いのは、2年次に履修したChris Burgess先生のセミナーです。すべて英語で行われるセミナーで、英語を読むだけではなく、自分の考えをしっかり英語でまとめてアウトプットしなければならない、厳しくも頑張りがいのある環境でした。 また、このセミナーを一緒に受けていたメンバーは、語学はもちろんのこと、学内外の学びに対しても、将来のキャリア形成に対しても非常に意識が高く熱心でした。何事にも一生懸命取り組む仲間に囲まれ、授業の内容からも、彼女たちからも本当にたくさんの刺激をもらっていました。
他には女子大ならではの授業として、女性学や、女性の健康とキャリアといったテーマの授業を毎年受講していました。思い返せば、女性としてどんなライフパスを歩んでいくのか、キャリアをどのように形成していくかといったことを深く考えるきっかけになった授業だったように感じます。日々の大学生活の中で、こうしたトピックに真剣に向き合い、自分事として考える機会は中々ないのではと思いますが、津田塾で得た「女性としてどう生きるか」という学びは、就職や結婚、出産、子育てなど、私の人生の節目一つひとつの選択に間違いなくポジティブな影響を与えてくれました。

大学時代にはあらゆることに挑戦することを意識していました。

大学時代にはどんなことに注力されていましたか。
大学ではとにかくたくさんのことに挑戦しました。留学はもちろんですが、日本が抱える課題について他大学の学生とともに学び議論する「ジュニア・アカデメイア」に参加したり、他国から津田塾に来ている交換留学生のサポートをする「ビッグシスター」を経験したり。さらに3年次には授業の一環で国連大学のグローバルセミナーに参加し、他大学の学生や社会人の方などさまざまなバックグラウンドをもつ方とグループディスカッションを行い、そこではチームリーダーとしてファシリテーションを務めました。自分より経験豊富で知見もあるようなメンバーの意見に耳を傾けながらまとめていく作業は、振り返れば今の仕事であるプロジェクトマネジメントにもつながる貴重な経験でした。
津田塾での「ビッグシスター」ではどのような経験をしましたか。
1年次のセミナーで同期だった日本人学生とペアになって、アメリカのカンザス州出身の交換留学生のサポーターを務めました。彼女は最初、日本の海鮮料理が苦手で食べられず日本の食文化に馴染むのに苦労していたのですが、私の地元である横浜で、アメリカナイズされた雰囲気のある店に連れていった際に彼女がとても喜び、故郷を思い出して涙する様子に、文化の違いというのはこういうことなのか、と新鮮に感じたことを思い出します。ビッグシスターを務める中で、留学生の彼女が驚くこと、嬉しく思うこと、感動すること、一つひとつが異文化を知る気づきとなりました。



視野を広げ、価値観を多様化できた留学生活でした。

渡邊さん自身も3年次の終わりから1年間留学されましたが、どんな留学経験でしたか。
高校の時に交換留学生として来日していた友人が住むオーストラリアのメルボルンを訪れる機会があり、その際に街に住む人々の多様性に興味を惹かれました。その頃から、いつかメルボルンに留学したいと考えていました。メルボルンには協定校がなかったので私費留学になりましたが、留学はもちろん、一人暮らしも初めての経験だったため、まずは生活環境を整えるのが大変でした。毎年、何名もの学生が行く協定校への留学であれば、手続きなども前例に則って進められると思うのですが、私の場合はすべてを自分で行う必要があったので、家探しやその契約、アルバイトなど、なにをするにも困難ばかり。けれど、だからこそできた経験は非常に多く、自分を一回り成長させてくれたと思います。
勉強はいかがでしたか。
最初に通ったメルボルン大学付属の語学学校では、世界各国からやって来た多くの友人に恵まれました。彼らは私が1人で解決できないような困難に直面した時、いつも必ず手を差し伸べてくれました。文化や言語の壁はあれども、互いに相手を理解したい、大切にしたいという気持ちを抱くことこそが、深い人間関係を築くために重要なのだと気づかされる経験でしたね。
語学学校で学んだ後はメルボルン大学の講義にも参加しました。国立の大きな大学ですから、津田塾とは違って大規模クラスでの講義が中心でしたが、それまでの大学生活とは違う視点で学びに向き合うことができ、大変ながらも、世界をもっと知りたいという気持ちがより強くなる留学経験でした。
留学時代の友人はかけがえのないものになったのですね。
まさにそうだと思います。実際に留学後には友人達を訪ねて、バックパックを背負って世界の15ヶ国をめぐりました。それぞれの地で得た、ニュースや教科書で決して知ることのできない現地の生活や文化に触れる経験は、私の視野を広げ、価値観を多様化することにつながったと思います。またその時だけではなく、つい先月も、当時サウジアラビアからメルボルンに留学していた友人に会いに、彼女が住むサウジアラビアのリヤドを家族で訪問しました。卒業後もこうして温かく迎え入れてくれる友人が世界中にいるのは、本当に嬉しくありがたいことだなと感じています。


大学時代の経験が仕事に活きています。

 帰国後の就職活動ではどのようなことを考えましたか。
留学などで世界中の多様な人びとと関わった経験から、「お世話になった人たちに間接的にでも恩を返したい」という想いがあり、漠然と「日本と世界をつなげる」仕事ができるという観点で就職活動を行っていました。日本に帰国した後、英語を話す機会が増えればという思いから、羽田空港第1ターミナルのコーヒーショップでアルバイトを始めたのですが、そこがANAのオフィスと近いこともあり、社員の方がよく利用されていたのです。日々、接する中で、ANAの皆さんがとても優しく、中でも当時の副社長の方が私の名前もおぼえてくださるような穏やかでやさしい方で。小さなことかもしれませんが、こんなに素敵な方々が揃っている会社ならきっとよい会社なのだろうと思い、最終的に入社を決めました。当時の副社長にはその後お手紙も書いて報告したのですが、とても喜んでくださいました。
現在はどのような仕事をされているのですか。
入社後に配属された新千歳空港ではグランドスタッフとして働いていましたが、現在はグループ会社であるANA X株式会社で、顧客情報管理システムの拡張や保守運用に関するプロジェクトを管理する仕事を経て、財務会計システムを構築するプロジェクトに携わっています。
会計分野には全く触れてこなかったので、プロジェクトに加わった当初は非常に苦労しました。その中で心がけたのは、とにかくわからないことは聞く、そして一つずつ理解して前に進んでいくということ。毎日、いろいろな方をつかまえては一時間ぐらいお話を聞いて、それでもわからずつらく思うこともありましたが、一生懸命に小さな一歩を重ね続けていくことで理解が深まり、自分の力で仕事を進められるようになっていきました。学生時代にもセミナーや留学などで大変な思いをすることはありましたが、その時に着実に前に進む努力を続けていた経験があったからこそ、仕事でも困難な場面を乗り越えて頑張っていられるのかなと思います。
働く環境としてANAグループはどのような場所ですか。
最初に勤めていた新千歳空港では、北海道胆振東部地震をはじめ台風や雪といった自然災害の中での業務も多く経験しました。精神的にも体力的にもハードな場面はもちろんありましたが、同期と助け合い励まし合いながら業務ができたこと、またそこで構築した現場の仲間との信頼関係は、社会人生活の中での一つの大きな財産となりました。
その後は結婚出産し、ワーキングマザーとしての勤務になりました。保育園が決まらず苦労していた際も、社内託児所のおかげで仕事と子育てを両立でき、ここまで働き続けることができました。
ANAグループではつねに人と人とのつながりを感じることができます。子どもには仕事を楽しんでいる姿を見せたいと思っているのですが、この会社であれば、仲間とともに目標に向かって前向きに成長していけるのではないかと思っています。


津田塾で充実した4年間を過ごすことができました。

最後に、津田塾を目指す高校生にメッセージをお願いします。
津田塾は小規模な大学ですが、外の世界に大きく開かれている大学です。意欲的に学べばたくさんのチャンスをつかむことができますし、優秀な学生と互いに刺激し合い、成長できる場でもあります。少人数教育の強みを生かし、先生方も親身になって一人ひとりの学びをサポートしてくださいます。
もし、高校生の私に何か伝えることができるなら「津田塾での学びは、間違いなくこれからの人生の糧になる」と自信を持って伝えたいです。ぜひ皆さんも津田塾で様々なことに挑戦し、充実した社会人生活や人生を送るきっかけにしてください。
※肩書等は取材当時のものです。
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