一歩踏み込んで、当事者の声に向き合う。
津田塾で磨かれた記者としての姿勢。

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大髙 彩果 Otaka Ayaka

学芸学部国際関係学科 2018年卒業

多文化・国際協力コース(※現在の多文化・国際協力学科)へ進み、メキシコ南部の男性でも女性でもない「第3の性」と呼ばれる人たちを対象に、現地でフィールドワークを行った大髙さん。卒業後は、日本放送協会(NHK)に記者として入局。高知放送局に配属され、警察・司法担当を経て、2年目から県政の取材に従事しています。11月から山形放送局へ異動。これまで新型コロナウイルス関連を中心に、障がいのある学生の支援や孤独死対策など、福祉分野の取材に取り組んできました。

在学中、関心のある地域に足を運び、コミュニティに自ら飛び込んで多くの学びを得た一方、地域を訪れる「こちら」側と地域で暮らす「あちら」側との距離の取り方に悩んだことも。そんな大学時代の経験は、記者としての姿勢にどのように結びついているのでしょうか。

先生や仲間から受ける刺激は、かけがえのない財産。

はじめに、津田塾大学を志望した理由をお聞かせください。
高校時代は、外交官の仕事に漠然とした憧れがありました。外国語を駆使しながら、国際社会を舞台に活躍したい。そんな将来像を描いていた時期に、母から津田塾のパンフレットを受け取り、英語教育や少人数教育に力を入れていることを知りました。
重厚感があって歴史を感じる校舎、四季折々で表情が変わる開放的な中庭。キャンパスの風景も魅力的でした。さらに、創立者の津田梅子とともに岩倉使節団の一員として渡米した大山捨松は、私と同じ会津の出身。いっそう身近に思えたのも決め手となりました。津田塾を勧めてくれた母に心から感謝しています。
実際に入学して、どんな気づきがありましたか?
常に問題意識をもち、視野が広い友人たちとの学生生活はとても刺激的なものでした。例えば授業以外の何気ない日常会話の中でも、LGBTQや在日外国人を取り巻く問題が話題になるのです。また、英語の授業では多くの課題が出されますが、英語力の高い仲間が多いなか、授業内容についていくのは本当に大変でした。
「プラスアルファで勉強しなければ」と、学内のAVライブラリーを活用し海外ドラマや映画のDVDを観てヒアリング力アップに努めたことも。なるべく楽しみながら英語を身につけようという思いからでした。少人数制で先生との距離が近く、ライティングの授業「Composition」で課題を提出すると、毎回手書きでていねいな添削が返ってきます。アットホームであるのと同時に、いい意味での緊張感や厳しさがある点も津田塾の特徴です。


ボランティア経験が、羽ばたく原動力になった。

入学後、ボランティア活動にも力を入れていたそうですね。
日本の「当たり前」が通用しない世界を、自分の眼でちゃんと見てみたい。そんな思いを抱いていた矢先に、フィリピンでのボランティア募集が目に留まりました。孤児院でおよそ2週間、子どもの世話をするというものです。実際に現地に行くと、貧富の格差が一目瞭然であることに驚きました。高層ビル群のすぐそばにスラム街があるという光景が珍しくありません。孤児院にはそうした貧困地域の子どもが多く預けられていました。机上の勉強だけでは知り得ない衝撃的な世界との出会いから、私のボランティア活動はスタートしました。

孤児院でのボランティア活動では、どんな学びがありましたか?
ボランティア最終日のことです。私に懐いてくれた2歳ぐらいの男の子が別れを惜しんで泣きじゃくっていました。期限付きのボランティアで一時的に誰かの役に立てたとしても、結局その場を去らなければならなかったとき、誰かの人生と関わりをもつ責任の重みを痛感しました。また、「支援する側」と「される側」という立場の違いを超えることはできないのではと思い、ボランティアには限界があるのではとも感じました。
短期間では、現地で真に必要とされていることに100%応えるのは難しい。途上国支援を考えるのであれば、ボランティアのみならず、その地域の文化や風土、社会システムを理解し、腰を据えて現地の人びとと関わることが重要だと考えるようになりました。



自ら問いを立て、深く掘り下げる。

2年次に多文化・国際協力コースを選択されたのはなぜでしょう。
ボランティア活動で感じたことが影響しています。現地の人たちと限定的にしか関われないことへのはがゆさ、「支援する側」と「される側」の隔たりに対する疑問に、自分なりにもう一度向き合ってみたかったのです。
特定の地域に対し、みずからを「支援者」と位置づけて関わるのではなく、フィールドに根ざして地域の人を見つめる。そんな「フィールドワーク」が学びの軸となる多文化・国際協力コースで、地域の成り立ちや社会のあり方を、アカデミックに、そして実践的に考えることから始めたい。そう思い、志望しました。

メキシコでのフィールドワークにおいて、「第3の性」と呼ばれるムシェを研究テーマに選んだ経緯を教えてください。
ラテンアメリカを専門とする三澤先生の授業を通じて、ムシェの存在を知ったことがきっかけです。スペイン語を第二外国語として学び、日本のメキシコ大使館でインターンシップを経験するなどし、メキシコという国にマクロな視点で関心を持っていた矢先でした。大学4年次にはメキシコ留学の夢が実現。留学中は、現地で「ムシェ」の調査に取り組みました。ムシェは、メキシコ南部のオアハカ州の先住民族、サポテカ族で伝統的に認知されている女装した男性を指します。マイノリティではなくひとつの性として認められており、地域に溶け込んだ身近な存在と言われています。性的マイノリティへの理解が進みつつある今日の流れを踏まえると、現地を知ることで共生のヒントも得られるのではないか。ムシェを調査する意義は大きい。そのこともテーマに選んだ理由です。
フィールドワークに取り組む上で難しかったこと、心がけたことはなんでしょうか?
フィールドワークは、先行研究を批判的に読み、問いを立てて現地に赴き、そこでの気づきをもとに問いを立て直すというプロセスを繰り返します。「とりあえず行けばなんとかなる」では済まされないプレッシャーがありました。とりわけムシェは先行研究が少ない上に、その多くはスペイン語で書かれているので、準備には苦労したものです。

現地では主にインタビューしながら調査を行いました。大きな発見は、ムシェ自身でもその定義はそれぞれ違っていて、多様性があったことです。世間に流布した画一的な情報で判断してはいけない。現場の声にしっかり耳を傾けることが大切なのだと実感しました。正直なところ、フィリピンのボランティアで感じたような現地の人と限定的にしか関われないはがゆさや、支援や調査をする側・される側という構造への疑問が、このフィールドワークで完全に解消されたわけではありませんが、そうした疑問を抱えながらも絶えず考え続けるという力が身につきました。

また、メキシコの治安は必ずしもよいものではありません。留学中は、身の安全にも気を配りました。教授のつてをたどって、温かなホストファミリーに迎えられ、本当に感謝しています。いろいろな国々にネットワークがあり、留学中も安心して研究活動に打ち込むことができる。これが津田塾大学の強みであると思います。

一人一人の思いに、注意深く耳を傾ける。

元々は外交官を志していたところ、記者に志望を変えた理由を教えてください。
メキシコ留学中、日本大使館のインターンシップに参加していたとき、日々、政府に異議を唱える市民のデモが行われていました。そこで感じたのは、政府間で交渉を重ね、合意形成することが重要であるのはもちろんですが、地域住民の日常生活に着目し、その背後にある問題に光をあてることも大切だということ。立場の弱い人や声をあげたくてもあげられない人の目線から、広く世間に対して問いを投げかけたい。そうした思いを実現できる仕事として記者を志すようになりました。国益のために働くことにも魅力はあるでしょう。でも私は、弱い立場の人びとに寄り添いたい。津田塾でのさまざまな経験を通して、自分なりに社会との向き合い方が確立されるにつれ、自然と記者を志すようになりました。
津田塾での経験が、記者の仕事にどう活かされていますか?
複雑な問題を単純化せず、本質をとらえたうえでわかりやすく伝える。いまの仕事では、大学時代にボランティア活動やフィールドワークで悩みつつも、いろいろな価値観、立場の方と向き合った経験が活きています。

コロナ禍で忘れられない取材があります。高知県内で初めて保育園内の陽性者が発生したときのこと。「がんばれ○○保育園」という匿名のエールの旗が掲げられる出来事があり、園に取材を申し込んだところ、当初、応じるかどうか悩んでいらっしゃるようでした。「報道によって不当な差別や偏見を受けるのではないか」という危惧があるからです。それはコロナの患者さんやその関係者の方に共通して感じられます。そこで、園の皆さんのプライバシーは確実に守ることを強調するとともに、「この心温まるエピソードをぜひ社会に伝えたい」と丁寧に主旨を説明し、最後にはご納得のうえで話をしていただけました。
マスメディアは立法権、行政権、司法権に次ぐ「第4の権力」と言われます。報道は市民にとってなくてはならないものですが、ときに関係者の人生を大きく左右します。私たち記者は、このことを肝に銘じなければなりません。相手の思いを受け止めながら取材の主旨を誠実に伝える。市民に必要な情報を届ける使命感と、報道によって誰かの人生が変わるかもしれないという責任のバランスに留意する。そういう姿勢で、日々の仕事に臨んでいます。

津田塾での学びは、視野を広げるだけでなく、深めてくれる。

学生生活を改めて振り返って、津田塾大学の良さはどんなところにあると感じますか?
人との出会いが、今に生きています。津田梅子に象徴される変革者としてのイメージに魅かれて入学しましたが、自分のやりたいことや学びたいことに熱心に取り組む周りの友人や先生を見て、「みんなが津田梅子」だと心底感じたものです。社内や同じ報道業界にもOGがいて、精神的なつながりを強く感じます。他大に比べて卒業生が少ない分、知り合えるとお互いとても嬉しい。これは小規模校ならではのメリットでしょう。

最後に、津田塾大学を志す高校生に、メッセージをお願いします。
津田塾は、教科書から得られる知識や教養以上の学びに溢れています。視野が「広がる」だけではなく、「深まる」のも、津田塾の大きな特色です。多面的なものの見方や、答えのない問いを考え抜く力が身につきます。それは、複雑な社会で地に足を着けて生きていくための礎になるはずです。

私自身、ボランティアやフィールドワークに行く前は不安でいっぱいでした。しかし、思い切って飛び込んでみると、大きく目を見開かれるような体験、心を揺さぶられる体験が待っています。高校生の皆さんも、ぜひ自分を信じて果敢に挑戦してみてください。

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