女性だけの環境で自然に学び、刺激し合う津田塾での4年間で、 自分らしく生きるための「根」を培いました

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宇野 陽子 UNO Yoko

学芸学部国際関係学科 1990年卒業 

憧れいっぱいの少女から、地に足をつけ自分の人生を歩みだす大人の女性になる−−。 大学で過ごす4年間は、女性にとってそんな時間なのだなと感じさせてくれるのが、90年に国際関係学科を卒業した宇野陽子さんです。 宇野さんは現在、格付投資情報センターにおいて、「証券アナリスト」の資格を持ちながら企業年金の運用コンサルタントとして、また部長として働いています。その一方、3人のお子さんを育てるお母さんでもあります。 「仕事をしながら子育てをする将来を、大学生の頃は想像していませんでした。津田塾で学んでいなかったら、この仕事は選ばなかったし、今のような人生にはならなかったと思います。今後は母校のために、何か具体的な恩返しができないかと考えています。」とたおやかな佇まいで話します。 幼い頃から見ていた旅番組のレポーターに憧れていた宇野さんが、金融関係の仕事につこうと堅実な思いを抱くようになっていく津田塾での4年間と卒業後のキャリアについてお話を伺いました。

根をもつこと、翼をもつこと

津田塾に入学してすぐのことだったと思います。ある先生がおっしゃった「根をもつことと翼をもつこと」という言葉がとても印象的で、今でも私の中に残っています。

特に「根をもつこと」の部分に強く惹かれました。

当時の私は、海外の国々をより知りたいという思いが強くあり、国際関係学科に入学しました。小さい頃から放送していた「兼高かおる世界の旅」(TBS系列で1959年〜1990年放送)が大好きで、レポーターをしていた兼高かおるさんのようにいろいろな国に行ってみたい、そして各国の文化や歴史を紹介するような仕事ができたらという漠とした思いがあったのです。

この言葉を聞いたときに、憧れや夢は「翼をもつこと」だけど、それだけではなく「根」の部分となる自分自身をしっかりともたなくてはいけないのだなと感じたのです。
「根をもつこと翼をもつこと」という言葉は、社会学者である見田宗介氏がペンネームの真木悠介の名で出版した本『気流の鳴る音 - 交響するコミューン』(1977年、筑摩書房)に出てくる言葉です。この本では、人間の根本的な欲求は、「根をもつこと」と「翼をもつこと」の二つであり、自由(翼)を求めながらも帰属先(根)も必要としているとあります。当時の宇野さんにとっては、「根」を自分の中にしっかりと見出していく必要性を感じさせる言葉として強く響きました。

積極的な友人に影響を受ける日々

津田塾大学というと、静かで落ち着いた雰囲気を思い出します。勉強するという空気が流れていました。 

友人たちはみんな真面目で、アクティブな人が多かったです。とはいえ、グイグイ攻めるわけではなく、誰かを押しのけていこうとするのでもなく、それぞれが興味の赴くまま、積極的に動いていました。

小平キャンパスは都心から離れているので田舎の学校だと思われがちですが、学生はみんな色々なところに出て行っていました。

一人で2か月スペインに行ってしまったり、英語の課題をとても一生懸命やりながら、社会勉強のためだとディズニーランドでキャストのアルバイトに精を出していたり。私もそんな友人たちに影響を受け、国際金融について学びながら、心理学や社会学の授業に出たり、いくつかの大学の学生が集まり国際関係を学ぶ勉強会に参加しては、世界情勢に関して議論をしたりしました。
学内では真面目に学び、興味があることのためには積極的に外に出る。そんな友人たちに刺激され、3年生の夏休み、イギリスに3週間の語学留学に行くことにしました。ロンドンの大学の寮で生活をしたのですが、この3週間がとても楽しくて、「私でも海外で暮らすことができるんだ」と少しだけ自信になりました。それまでは海外に憧れてはいても、実際、留学するとなるとそれは夢の世界のようでしたから。  
 宇野さんが短期留学をした時期、1980年代の終わりは、日本人の留学者数を見ると2万人ほどと、10万人を超えた2017年に比べると、さほど多くない時代でした(※)。そんな状況でも、宇野さんのまわりではひょいと当然のように留学をする友人が多かったそうです。このイギリスでの短期留学の経験が、キャリアを考える上での転機となりました。宇野さんも大学卒業後、留学をしたいという思いが芽生えたのです。
(※)OECD、ユネスコ、米国国際教育研究所等の統計より

本場アメリカの大学院でMBA取得を目指す

卒業後の進路について、色々と考え、調べているうちに、留学してMBA(経営学修士)の課程で学びたいなと思うようになりました。

ともに国際関係を学んでいた友人の中には、国際機関の就職を目指す人たちもいましたが、私が学んでいた国際金融に関する知識は、すぐに実社会と結びつけることが難しいように感じていました。ですので、更に専門的な知識を身につけたいと考えたのです。

MBAだけを考えると、日本国内にも取れる大学院はあったと思いますが、やはり本場のアメリカで学びたいという思いがありました。当時はまだ、金融や経営学の新しい知識はアメリカから日本にどんどん入ってきて、紹介されるという時代でしたから。

とはいえ、そのときはまだ、留学が終わった後どう働くかなどのイメージはありませんでした。この先どうなるかわからないけど、まずは学んでみたい。その思いで、留学を決めました。

今思うとそんな状況でよく行ったなと思いますが、でも、津田塾で身につけたこと、経験したことが自信になって、やってみようという気持ちになったのです。

大学3年の終わりからGMATのテストを受けるなど留学準備をし、津田塾を卒業後、ニューヨーク市立大学大学院のMBA課程に進学しました。 
この決断に対し、宇野さんは「津田塾以外の場所に身を置いていたら、こういう思いにはならなかったと思います」と話します。先はわからない。でも、興味があったらどんどん外に出ていく。津田塾の友人たちの中で培った津田スピリットと少人数クラスで学んだ英語や知識が宇野さんの背中を押しました。宇野さんの中に「根」が確立されつつあったからこそ、思いっきり「翼」を広げ飛び立つことができたのです。 
留学先では、津田塾で学んだあれこれが役に立ちました。

英語力はもちろんですが、なんといっても英字タイピング。まだ一人一台パソコンを使うような時代ではない中、津田塾では英字タイピングをしっかり学べる授業がありました。そのスキルが、宿題のエッセイや論文を書く際にとても役に立ちました。

また、大学院では、英文のテキストを30ページ読んでくるといった課題が毎日のように出ます。他の日本人の留学生はびっくりするようですが、津田塾での日々の課題に慣れていたので大丈夫でした。

アメリカにいると、もともと興味のあった日本文化により心を惹かれ、帰国後に茶道や華道を習いました。海外に出ることで、日本人としての「根」も感じることができたのだと思います。 

 

「根」があるからこそ自分らしく羽ばたける

2年後、宇野さんは、MBA課程を修了。そこで学んだ投資ポートフォリオ理論や金融の知識を生かし、日本で就職活動を始め、現在の株式会社格付投資情報センター(当時は、日本公社債研究所)に就職を決めました。実は、そこに津田塾の先輩の力添えがありました。 
大学院で学んだことを生かして、金融機関の研究所などで働こうと思い動いていたときに、1冊の本と出合いました。証券アナリストになるための参考書だったのですが、その著者の方が津田塾の卒業生、先輩だったんです。面識はなかったのですが、お話を伺いたいと連絡を取ったところ、時間をつくってくださり、親身に相談に乗ってくれました。

そして、今の会社を紹介してくださり、就職へと繋がったのです。とてもありがたい出会いでした。

津田塾出身というと、同級生でも顔見知りでなくても、「きっとたくさん学び、いろんなことを経験して今ここにいるんだろうな」という思いになります。津田塾生ならではの共通体験があるのだと思います。 
男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年。宇野さんが就職した1992年はまだ、社員の募集・採用、配置・昇進に関して、女性を男性と均等に取り扱う「努力義務」があった時代です。
そんな時代にありながらも、宇野さんは就職後、「証券アナリスト」、「国際公認投資アナリスト」の資格を取得します。「証券アナリスト」の資格保有者は、男女比が9対1という男性社会。男性が中心で活躍する世界でキャリアを積み上げ、また、その間に、3人のお子さん(長男、長女、次女)にも恵まれました。
私の働く業界は、男性が多いこともあり、母親は家に入った方がいい、外に出るのなら、特に金融業で働くなら、もっと強くなってビシバシやれなくてはいけない、なんて言われたこともありました。

私自身、強気でパキパキ物事を進めるタイプではありません。そういうことを言われたときに思ったんです。自分を変えてまで、別の人格になってまでやるのはどうなのかなと…。どうしてもそこまで変わりたくなかった。

自分なりにできる方法を模索し、子育てを共にやってくれる夫やアットホームな雰囲気の会社の人たちに助けられ、ここまでやって来ました。

だから、両立しようと気負ってきたというよりも、悩みながら、求められることに対しできること、できないことが明確になるよう試行錯誤をしてきて、今、ここにいるという感じが強いです。

今の幸せの土台は津田塾の4年間

私の仕事は、各企業の企業年金や学校法人に対して資産運用に関するコンサルティングを行うことです。いわゆる投資のように、どんどん売り買いしましょうではなく、リスク管理を大事にし、中長期的な運用を提案します。よい提案ができ、お客さまに喜んでもらえたときがとても嬉しいです。 

今は管理職になり機会は減りましたが、アナリストとして、運用のデータや証券市場を分析することも大好きでした。2004年には、日本証券アナリスト協会が発行している証券アナリストジャーナルに投稿された論文の中で、その年に一番良いと認められた論文におくられる「証券アナリストジャーナル大賞」も受賞しました。努力してきたことが認められた瞬間でもありました。
今の人生はちょっと幸せだなと思っています。

津田塾は、女子だけの環境で自然にみんなが勉強し、刺激し合っていました。女子しかいない環境で、女性性を意識することなく、周りの目を気にせず、本当にやりたいことに素直にチャレンジすることができたんだと思います。

また、どんなに女性の少ない世界に飛び込んでも、自分の前には必ず津田塾の先輩たち、一歩先を行く人たちがいて頑張ってくれています。そのおかげで私は、留学に挑戦し、大好きな仕事に出会えました。

津田塾での4年間は、卒業して30年近く経っても私の中にしっかり根付いています。

卒業生のサポートも心強いし、学びへの期待を裏切らない大学です。真剣に学びたいと考えている人にはおすすめですよ。 
[ 聞き手・文:太田あや(ライター)・撮影:赤松洋太(カメラマン)]
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