第24回 学生スタッフレポート
共事者として考える社会と『わたし』
小松 理虔 氏(地域活動家)
みなさん、こんにちは!
「総合2025」第24回、1月8日(木)の講演は、福島県いわき市を拠点に地域活動家として活躍されている小松理虔(こまつりけん)さんにお越しいただき、「共事者として考える社会と『わたし』」というテーマでお話いただきました。
今回の講演では、小松さんのこれまでのご活動のお話を中心に、小松さんが東日本大震災をきっかけに新しく生み出した言葉、「共事者(きょうじしゃ)」について、さまざまな角度からご説明いただきました。小松さんのご活動は多岐にわたります。講演中にご紹介されたのは、地元で獲れたお魚を食べるイベントの開催や、地域のご高齢の方をその地域の人たちで支えていく地域包括ケア「igoku(いごく)」での取り組み、地域医療に関心のある学生に向けた「まち歩き」の実習などについてです。これらのご活動の様子を、たくさんのお写真を交えながらお話しくださり、小松さんが楽しみながら取り組まれていることを強く感じました。
その中でも、特に私の心に残ったお話は、「共事者」にまつわるお話です。共事者とは、出来事の最中にいる「当事者」の存在を大切にしながら、当事者やその出来事と関わっていこうという姿勢を持つ人のことです。私は、小松さんのご著書や記事などを拝読して、この言葉の意味や背景を何となく知っているつもりでした。しかし、小松さんから直接、「共事者」に込めた想いについて伺ってみると、共事者になる以前に、まずは「わたしを大事にする」ことが出発点であるということが分かりました。ここでいう「わたしを大事にする」とは、自分の欲望や悩みに向き合いながら、その当事者であることを自覚するということです。そして、その当事者性を前提にすることによって、自分なりの関わり方で、社会と、人と、関わっていくことができるようになるということ、それが、共事者としてのあり方につながっていくということに気づかされました。
「誰もが自分の当事者であり、他者の共事者である。」
小松さんは講演の最後に、この言葉とともに、「あいだで揺れ動く」ことの大切さについてお話しくださいました。私たちは、当事者と共事者という、2つの側面を同時に持っています。どちらの側面においても、「当事者はこうあるべきだ」「共事者はこうするべきだ」という正しさを求めるのではなく、当事者のことを知り、共事者として何ができるかを考え続けることが大切だと考えました。自分の問題、他者の問題それぞれにおいて、当事者と共事者のあいだで揺れ動きながら、学び続け、変化していくこと。こうした大切な姿勢を、小松さんの講演から学ぶことができました。
「総合2025」第24回、1月8日(木)の講演は、福島県いわき市を拠点に地域活動家として活躍されている小松理虔(こまつりけん)さんにお越しいただき、「共事者として考える社会と『わたし』」というテーマでお話いただきました。
今回の講演では、小松さんのこれまでのご活動のお話を中心に、小松さんが東日本大震災をきっかけに新しく生み出した言葉、「共事者(きょうじしゃ)」について、さまざまな角度からご説明いただきました。小松さんのご活動は多岐にわたります。講演中にご紹介されたのは、地元で獲れたお魚を食べるイベントの開催や、地域のご高齢の方をその地域の人たちで支えていく地域包括ケア「igoku(いごく)」での取り組み、地域医療に関心のある学生に向けた「まち歩き」の実習などについてです。これらのご活動の様子を、たくさんのお写真を交えながらお話しくださり、小松さんが楽しみながら取り組まれていることを強く感じました。
その中でも、特に私の心に残ったお話は、「共事者」にまつわるお話です。共事者とは、出来事の最中にいる「当事者」の存在を大切にしながら、当事者やその出来事と関わっていこうという姿勢を持つ人のことです。私は、小松さんのご著書や記事などを拝読して、この言葉の意味や背景を何となく知っているつもりでした。しかし、小松さんから直接、「共事者」に込めた想いについて伺ってみると、共事者になる以前に、まずは「わたしを大事にする」ことが出発点であるということが分かりました。ここでいう「わたしを大事にする」とは、自分の欲望や悩みに向き合いながら、その当事者であることを自覚するということです。そして、その当事者性を前提にすることによって、自分なりの関わり方で、社会と、人と、関わっていくことができるようになるということ、それが、共事者としてのあり方につながっていくということに気づかされました。
「誰もが自分の当事者であり、他者の共事者である。」
小松さんは講演の最後に、この言葉とともに、「あいだで揺れ動く」ことの大切さについてお話しくださいました。私たちは、当事者と共事者という、2つの側面を同時に持っています。どちらの側面においても、「当事者はこうあるべきだ」「共事者はこうするべきだ」という正しさを求めるのではなく、当事者のことを知り、共事者として何ができるかを考え続けることが大切だと考えました。自分の問題、他者の問題それぞれにおいて、当事者と共事者のあいだで揺れ動きながら、学び続け、変化していくこと。こうした大切な姿勢を、小松さんの講演から学ぶことができました。
国際関係学科4年 マーマレード
コメントシートより
- 今回の講演を通して、地域や福祉、医療といった重くなりがちなテーマを、楽しさや遊び、エンタメの力を通して捉え直す視点がとても印象に残った。人と集い、会話し、楽しむ場をつくることは、交流を生み、人がその人らしくいられる土台になるのだと感じた。特に、認知症の母親を介護する姿をアートとして表現した事例は、明るさの中にある寂しさや切なさが胸に迫り、老いや病が誰にとっても避けられない未来であることを実感させられた。認知症を「迷惑な病気」とする偏見を壊すのは、当事者以外の第三者の役割でもあり、「なっても大丈夫」と社会が寛容になることが重要だと思う。また、当事者と非当事者の対立を超える「共事者」という考え方は、完璧でなくても関わろうとする姿勢を肯定してくれる。高齢者福祉や震災は一部の人の問題ではなく、私たち全員の問題だと感じた。
- 私は、過去に関わろうとしたことに対して、「お前には関係ない」と言われたことがあったため、自分に無関係なことに自分から関わることをなるべく避けるようにしていたが、今回の講義を通して少しでも「関わってみたいな」と思ったら、積極的に関わってみようと思うきっかけになった。また今まで「自分には関係ない」という理由から、他の人との関わりを避けていたこと自体を正当化していたのかもしれないなと思った。誰かのためにする行動を、その人視点だけでなく「自分」視点でも捉え直すのが重要であると感じた。もし自分の好きなことを広げることで、誰かがハッピーになれるなら、それは最高のお悩み解決方法だなと思った。




