第5回 学生スタッフレポート

  1. HOME
  2. 大学案内
  3. 第5回 学生スタッフレポート

出会い・創造・変容の「わたし」軸
~Hawai'i > 日本人移民 > 沖縄系移民 > 沖縄系女性移民 × わたし~

山下 靖子 氏
(津田塾大学 国際関係研究所 特任研究員 /
法政大学 沖縄文化研究所 国内研究員)

「総合2023」第5回講演、5月25日は山下靖子さんにお越しいただきました。山下さんは、ご自身にとっての大きな出会いであるハワイの沖縄系移民、そしてある女性のお話を通して、これまで見えていなかった人々の存在や彼らとの出会いを通した変化など、自分軸についての考え方を教えてくださいました。

山下さんは、異文化間コミュニケーションを研究するため滞在していたブラジルで出会った沖縄系移民の方々に、若い沖縄人が活動しているハワイへ行くよう勧められ、ハワイに行ってみようと思われたそうです。当時の山下さんは、沖縄と日本の何が違うのかわからないほど、沖縄のことを何も知らなかったそうですが、「それでも生きてこれてしまうのが今の沖縄の立ち位置」だとおっしゃっており、この言葉がとても印象に残っています。ご講演を通して、私は沖縄について全くわかっていなかったことを知り、こうした状況は今現在も変わっていない、むしろ深刻になっているのではないか、と考えさせられました。

例えば、琉球王国が日本の一部となった約20年後の1900年には、沖縄から「思想移民」としてハワイへ渡った人たちがいます。彼らは、「内地人は殿様で沖縄人は土人」といった琉球処分後の蔑視や差別を感じ、日本の外に自分たちの地位を求めて行った人たちです。しかし、すでに日本本土から移民が来ていたハワイでは、沖縄と本土にあった地理的な距離感がなくなったことで、日常的に差別に出会うようになったそうです。移民先であるハワイで、本土と沖縄の関係性が再現されていたというのです。

そんなハワイは、多民族社会というイメージがありますが、それは人為的に作られたものであるというお話も印象に残っています。ハワイは、プランテーションの建設によってアメリカの資本が徐々に入り込んでくる形でアメリカに組み込まれました。そして、先住民族のハワイアンがアメリカの意図する労働者にならなかったために、中国、ポルトガル、日本、朝鮮、フィリピン、イタリア、プエルトリコ、アフリカ系アメリカ人などさまざまな国や地域からたくさんの移民を労働者として受け入れました。これは多様な人種的背景を持つ移民が来たという単純なことではなく、特定の人種による独占を許さず、民族同士を分裂させることで労働者の反乱を防ぐという目的に基づいたものだったそうです。このような背景からハワイが多民族社会となったこと、しかしそんなハワイの中でも沖縄の人々が差別の対象であったことは、大きな衝撃でした。日本本土でも、ハワイの日系人の間でも差別の対象となった沖縄の人々ですが、現在もハワイをはじめ世界各地でコミュニティを作って活動したり、世界中から沖縄に集まり世界のウチナーンチュ大会を開催したりと、アイデンティティを強く継承しています。

そんなハワイと沖縄の両方のルーツを持つ人々の存在についても山下さんは教えてくださいました。山下さんの出会ったある女性は、沖縄からのハワイ移民2世で、ハワイで生まれ、幼少期は祖父母のいる沖縄で暮らし、高等教育は東京で受けていた方でした。しかし、日本本土から沖縄に対する差別があるために、高等学校では自身のルーツが沖縄にあることを同級生に隠して生活をしていたそうです。そのような日々の中、1941年に真珠湾攻撃が起こります。全校生徒が大聖堂に集まり日本の奇襲攻撃に喜びの歓喜をあげる中で、一人涙を流したこと、ハワイにいる妹が真珠湾攻撃の民間犠牲者の一人であったという話には、とても大きな衝撃を受けました。これまで戦争について学び考える中で、複数のルーツを持ち国際関係の狭間に立たされた人々について意識していなかったことに気づかされました。女性は、自身のルーツや妹の話を終戦後も学生時代の日本の友人に話すことはなかったと言い、国際関係がミクロな人間関係にまで入り込み、軸を作っているように感じました。

どこかの国の国籍を持ち、どこかの国の領土で暮らしている私たちは皆、国際関係の中にいるはずです。しかし、私たちは人生に深く結びついている国や地域のことを意識することは少ないでしょう。日本が国策として移民を世界各地に送り込んでおきながら、開戦時に敵地に住んでいる日本人、敵国となった国や地域にルーツを持つ日系人の存在を何も考えていなかったことも、その中で人生を翻弄された人々の存在も知りませんでした。このように知らなかったことで、過去が失われつつあることに貢献していたことの責任を感じるとともに、今回の講演を通して沖縄系移民の存在や移民先での生活を知ったことで、意識できる範囲が広がったように思います。

山下さんは、自分軸とは「関わり」のなかで創造され変容されていくもの、と言います。私は、この創造と変容を山下さんのご講演を通して実感しました。ハワイの沖縄系移民という、これまで知らなかった、意識したり想像したりすることさえもできていなかった人々の存在に触れたことで、自分が大切にしていきたい、ずっと考えていきたい部分に新たな要素が加わったように思います。これからは、自分が出会ってきた人々や物事とそれらの影響はもちろん、自分が出会っていない、見えていない人々や場所についても意識して触れてみることで、さらに自分軸を探り、変化を感じていきたいなと思います。

国際関係学科4年 どんぐり
国際関係学科3年 リーフィ

コメントシートより

  • 様々な人がいる、自分軸を持っている人もいれば持っていない人もいる。冒頭で山下氏が仰っていたこの言葉は「自分軸」という言葉に囚われるあまり、自分軸を持っていない人に目を向けれていなかったため、当たり前のことに気付かされ目が覚めるようでした。また、自分がどこにいるのか迷走していても様々な人達、様々な価値観に出会って自分軸が変容していく、自分を型にはめてこういうものだから自分で自分をと決めつけない方がいいという言葉は自分自身の中に潜んでいる見えない偏見を払拭してくれるキーワードになると感じました。自分は関係がないからといって何事も遠巻きに見るのではなく、山下氏のようにどんどん関わり合っていく姿勢も大切だと感じました。大きな流れの中で自分は変わっていく、劇的に変わることはないが確実に変わっていくという講演の最後に仰っていたこの言葉も、過去自分がどこにいるのか迷走していた山下氏だからこその言葉で、まだ自分軸がはっきりと定まっていない、もしかしたらないかもしれないものを探している私たちにとってすごく励みになりました。
  • 「多文化社会にさせられたハワイ」という言葉がとても印象的だった。というのも、自分もハワイを「多様」で「全ての人がありのままで生きられる場所」だと思っていたからだ。間違いではないのだろうが、ハワイのバックグラウンドについては考えるものがあった。より歴史について学ぶことの重要さを知り、歴史を知らない愚かさにも気づいた。 自分軸は多変的であるという点では、他の講演者さんとも共通するものがあるなと感じていたが、「自分はこういう人間だと決めないでほしい」という言葉は新鮮で心に残った。
  • 講演の中で「自分軸」の探し方は目をつぶって片足立ちをすることと同じだといわれたときはっとした。目をつぶっていると右も左もわからないのでバランス感覚が揺らぐがただ自分の中心、核を意識しまるで誰かにつりあげられるかのようにしてみるとすっと立ち上がれるということ。軸はつくるものではなくて見つけるもの、自ずと見えてくるものだということ。ならば今自分軸がなくてもそれは自分の思い込みで本当は見えないだけで自分軸はあり予期せぬことが起こったときに不意に見えてくるものなのかもしれないと思った。
Copyright©2019 Tsuda University.
All rights reserved.