第26回 学生スタッフレポート

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不可視化される弱者
~あなたは仕送りされる側?/する側?~

ヒオカ 氏(ノンフィクションライター/作家)

みなさんこんにちは!
2022年度最後の講演である第26回「総合」では、ノンフィクションライター/作家のヒオカさんに登壇していただきました。ヒオカさんは「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、弱者の声を可視化するための取材や執筆活動を行われている方です。今回は「不可視化される弱者~あなたは仕送りされる側?/する側?~」というテーマでお話をしていただきました。

まず最初に、自己紹介として生い立ちについてお話してくださったヒオカさん。ヒオカさんのご両親はともに体が弱くて十分な収入を得ることができず、ヒオカさんも経済的な理由から塾や部活ができない、誕生日プレゼントやお小遣いがもらえないといった制限を受けてきたそうです。また、大学ではプレゼント交換や飲み会に応じることができず友達が作れない、十分な生活環境が整っていないシェアハウスでの暮らしで体調を崩して救急搬送されるなど、多くの困難に直面してきました。

この生い立ちを聞くだけでも、普段の生活で貧困に触れない人にとっては驚くことばかりなのではないでしょうか。貧困というと海外の飢餓問題といった絶対的貧困を思い浮かべがちかもしれませんが、日本では相対的貧困がたくさん存在しています。この相対的貧困というのは周りの人と比べると貧困状態にあり、目につきにくく分かりにくいです。また、ヒオカさんによると、お金がないということは衣食住に困るだけではなく、友達ができない、旅行の経験ができない、家に本がないなど、「文化資本」の格差を生み、目に見えない形で本人に多大な影響を及ぼしているそうです。

このような環境で育ってきたヒオカさんは、コロナ禍での住民税非課税世帯への給付金に関する議論をきっかけにライターになります。この議論の中では、「なぜ税を納めている自分たちがお金をもらえず、働いていない人がもらえるのか」といった意見で低所得者層がバッシングされ、多くの人が「低所得者層=働いていない」というイメージを持っていたようです。ヒオカさんからすると「働いていない」のではなく「働けない」のであり、バッシングをする人たちには低所得者層がそこに至る背景が見えていないと実感したそうです。「これは当事者として書かなきゃやばい!」と思い、今までの人生と貧困の関係を振り返ったnoteを公開したところ大きな反響を呼び、ライターとしての活動を始められました。

「日本には低所得者層支援への根強いバッシング、貧困層への自己責任というラベリング・偏見がある」。ヒオカさんのこの言葉が強く印象に残っています。給付金の議論と同様に教育費の無償化や奨学金に関しても、「住民税非課税世帯ばかり優遇されるのはおかしい」、「奨学金を返せないのに借りるのが悪い」といった言葉で低所得者層へのバッシングは尽きません。しかし、そういった意見を言う人の中でいったいどれだけの人が本当に貧困の実態を知っているのでしょうか。ヒオカさんが取材で出会ってきた人の中には、奨学金を親に使い込まれてしまう学生や、1人暮らしの費用や学費をアルバイトで稼いでいるうえに実家へ仕送りをしている学生もいたそうです。そうした学生は働いていないから貧困なのではなく、親から貧困が連鎖して抜け出せていない状況にあります。ヒオカさんは貧困家庭にとって教育、そして大学への進学は一般家庭との差を埋めるために特に重要な方法だとおっしゃっており、こうした視点から考えると貧困層への教育に関する支援は特に重要な課題なのではないでしょうか。

今回私がヒオカさんに講演をお願いしたのは、ヒオカさんが語る「生存バイアス」や「強者の理論」にハッとさせられたからです。これらは自分が困難を乗り越えられたがゆえに、努力でどうにかなる、と他者に押し付けることを意味します。高校までの私は見ている世界が狭くて、私自身も経済的な事情から塾には通えませんでしたが部活や勉強を頑張り、そこで成し遂げてきたことは自分の力で得たものだと思い込んでいました。しかし、ヒオカさんのお話を聞くと、努力させてもらえる環境にいたこと、部活ができること、当たり前のように大学進学という選択肢があったことはとても幸せなことであり、こうした土台を自分が持っていることに全く気付いていなかったのだと感じさせられました。このように他者の話を聞いて、自分が育ってきた環境が貧困という「枠」に当てはまるのかどうか考えることは、これから人と関わっていくうえでとても重要なことではないでしょうか。経済的に困難な人、仕事をしていない状況にある人に対して「努力が足りない」といった意見を投げかける前に、その人の背景を考える瞬間を持ってほしいと思います。今回の講演を通して、自分の当たり前や成功体験を人に押し付けるのではなく、「自分が相手と違うスタートラインにいるかもしれない」という視点が加われば嬉しいです。

国際関係学科4年 すみれ

コメントシートより

  • 生存バイアスや「強者の理論」が印象に残った。自分が成功体験だと感じていることも、バックグラウンドからの支えあってのものかもしれないということが分かり、本当の成功体験とは何なのか考えるきっかけになった。
  • 「日本には低所得者支援への強いバッシング、貧困層への自己責任というラベリングがある」という言葉に納得し、私も講演を聞くまではそれらの支援にあまり積極的な意見をもっていなかった。しかし、進学したくても生まれた環境によってできない事、日本全体の経済バランスの偏り、格差の実態を知ることで、自分の価値観の偏りに気付くことができた。社会に起きている問題に目を向けて意見を持っていても本質的な部分を理解していないと格差はなくならないのだと感じた。
  • 私はボランティアで、貧困家庭の塾などに通えない子どもたち相手に勉強を教えているが、彼らはみんな良い子だ。しかし、勉強を教える以前に、彼らには家で勉強をする環境も、勉強をさせられる理由も理解しきれていないところがあり、そこでいつも苦労する。彼らは現実(家庭の貧困、親の問題など)が見えすぎることがあり、勉強をやめてしまっている。でも、今回のヒオカさんの話のように、勉強をやめればそこで連鎖は続いてしまうと思う。学生ボランティアの私に、一人の児童の生涯を正すような責任はないが、いつもそういうことを考えてしまう。どうすればいいのか考えていきたいと思う。
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