第24回 学生スタッフレポート
「くくり」を見つめる
山崎 ナオコーラ 氏(作家)
皆さん、こんにちは!
「総合2022」第24回、12月22日の講演は、作家の山崎ナオコーラさんにお越しいただきました。山崎さんは2004年に、会社員として働きながら書いた小説『人のセックスを笑うな』で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始められました。「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」を目標に、小説やエッセイの執筆を続けられています。今回は「『くくり』を見つめる なぜ人はカテゴライズをしたがるのだろう」というテーマでお話していただきました。
講演は山崎さんがこの日のために執筆してくださったエッセイから始まりました。
「キノコ自身は自分の種類をわかっているのだろうか」というお子さんの問いを聞いて、人間だけが「自分の種類を知っていて当たり前」「自分がどういう種類に当てはまるのか、知りたくなって当たり前」という感覚を持っていることに気がついた山崎さん。そして、分類すること、すなわち「くくり」に入れることによって、相手や自分を理解していることにも気がつきました。
これらの気づきをふまえた上で、次に、くくりから離れることはできないという事実を受け入れることが大切であるとお話してくださいました。
山崎さんによれば、本来、世界はくくりによってカテゴライズされておらず、もやもやとして曖昧な状態で存在しています。しかし、私たちは、その曖昧な世界を曖昧なまま理解することはできません。そこで、言葉を用いてはっきりとした輪郭を与え、カテゴライズすることで世界を認識しています。だから、世界を認識するための手段としてくくりを用いている私たちは、くくりから離れることはできないというのです。
このくくりというのは、上記の通り私たちが世界を認識することを助ける役割をします。しかしその一方で、望んでいないくくりに分類されて傷つく人や、くくりにある「〜しなければならない」といった思い込みにとらわれて身動きが取れなくなってしまう人もいて、必ずしもくくりが良いものといえるわけではないと山崎さんは言います。
その後、山崎さんは「性別」「人種」「障害」というくくりを取り上げて、くくりが絶対的なものではなく、相対的なものであること、場所や時代によって変化するものであることを説明されました。
例えば、性別に関しては、これまで男性・女性という二つのくくりで分ける性別二元論が主流でした。しかし、近頃さまざまな性別のあり方が社会に広く受容されつつあり、男性・女性以外のくくりの存在が一般化しています。これは、性別のくくりの捉え方が絶対的なものではなく、時代によって変わるものであることを示しているといえます。
私たちは世界を認識するときや相手や自分を理解するときに、無意識のうちにくくりに入れてカテゴライズしています。だからその線を完全に無くすことはできません。しかし、それが絶対的なものではなく、相対的なものであるということ、場所や時代によって異なるということを知っておくことで、必要以上にくくりに縛られることなく、自分らしく生きることができるでしょう。
山崎さんは講演の最後に、自分をどのくくりに入れるのか、またどのくくりに入れないのか、自分と向き合い考えてほしいとお話しされていました。
今回の講演は、多くの学生にとってくくりについて改めて考え直すきっかけになったのではないかと思います。くくりがあることで安心することもあれば、くくりにとらわれて悩むこともあるでしょう。時に立ち止まってくくりについて考え直すことで、自分のより良い生き方を見つけることができると同時に、自分を客観的に理解する機会になるのではないでしょうか。
「総合2022」第24回、12月22日の講演は、作家の山崎ナオコーラさんにお越しいただきました。山崎さんは2004年に、会社員として働きながら書いた小説『人のセックスを笑うな』で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始められました。「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」を目標に、小説やエッセイの執筆を続けられています。今回は「『くくり』を見つめる なぜ人はカテゴライズをしたがるのだろう」というテーマでお話していただきました。
講演は山崎さんがこの日のために執筆してくださったエッセイから始まりました。
「キノコ自身は自分の種類をわかっているのだろうか」というお子さんの問いを聞いて、人間だけが「自分の種類を知っていて当たり前」「自分がどういう種類に当てはまるのか、知りたくなって当たり前」という感覚を持っていることに気がついた山崎さん。そして、分類すること、すなわち「くくり」に入れることによって、相手や自分を理解していることにも気がつきました。
これらの気づきをふまえた上で、次に、くくりから離れることはできないという事実を受け入れることが大切であるとお話してくださいました。
山崎さんによれば、本来、世界はくくりによってカテゴライズされておらず、もやもやとして曖昧な状態で存在しています。しかし、私たちは、その曖昧な世界を曖昧なまま理解することはできません。そこで、言葉を用いてはっきりとした輪郭を与え、カテゴライズすることで世界を認識しています。だから、世界を認識するための手段としてくくりを用いている私たちは、くくりから離れることはできないというのです。
このくくりというのは、上記の通り私たちが世界を認識することを助ける役割をします。しかしその一方で、望んでいないくくりに分類されて傷つく人や、くくりにある「〜しなければならない」といった思い込みにとらわれて身動きが取れなくなってしまう人もいて、必ずしもくくりが良いものといえるわけではないと山崎さんは言います。
その後、山崎さんは「性別」「人種」「障害」というくくりを取り上げて、くくりが絶対的なものではなく、相対的なものであること、場所や時代によって変化するものであることを説明されました。
例えば、性別に関しては、これまで男性・女性という二つのくくりで分ける性別二元論が主流でした。しかし、近頃さまざまな性別のあり方が社会に広く受容されつつあり、男性・女性以外のくくりの存在が一般化しています。これは、性別のくくりの捉え方が絶対的なものではなく、時代によって変わるものであることを示しているといえます。
私たちは世界を認識するときや相手や自分を理解するときに、無意識のうちにくくりに入れてカテゴライズしています。だからその線を完全に無くすことはできません。しかし、それが絶対的なものではなく、相対的なものであるということ、場所や時代によって異なるということを知っておくことで、必要以上にくくりに縛られることなく、自分らしく生きることができるでしょう。
山崎さんは講演の最後に、自分をどのくくりに入れるのか、またどのくくりに入れないのか、自分と向き合い考えてほしいとお話しされていました。
今回の講演は、多くの学生にとってくくりについて改めて考え直すきっかけになったのではないかと思います。くくりがあることで安心することもあれば、くくりにとらわれて悩むこともあるでしょう。時に立ち止まってくくりについて考え直すことで、自分のより良い生き方を見つけることができると同時に、自分を客観的に理解する機会になるのではないでしょうか。
国際関係学科3年 橘
コメントシートより
- 今回の講演から、くくり=カテゴリーは相対的なもので、くくりは必ずしも選ばなければならないものではなく、「この括りは無視していい」「この括りに入りたい」という気持ちがあっていいものであることが分かった。多様性が受け入れられてきて選択肢の多い今の世の中では自分の所属や分類に迷うことが多いと思うが、自分が生きていて楽しい、誇りを持っていけると思えるような生き方にできるよう、自分自身をみつめ、目の前にあるくくりを疑ってみることが大切だと分かった。また、些細な言葉でも気づかないうちに物事をカテゴライズ化してしまっているかもしれないので、気を付けたいと思った。
- ”他人を「くくり」に入れて判断したい気持ちが人にはある”とお聞きして、私も知らず知らずのうちに人を勝手に「くくり」に入れてしまっていたことに気がつきました。できるだけ自分の中から偏見を消すことができるように、常に新しい目で人を見るようにしたいなと思いました。また、自分自身ともっと向き合って、自分が自分を「くくり」に閉じ込めてしまっていないか考えていきたいです。
- 山崎氏のエッセイを読んで、「キノコ自身は自分が何の種類か分かっているのだろうか」という問いに驚きました。確かに私たちは人間>日本人>大学生という「くくり」に属し、囲まれ、また守られてもきました。時にはそのくくり・枠に息苦しさを感じたこともありましたが、やはり私は「枠」があることに居心地の良さを感じます。自分を表現する時にこのくくりが最も役に立ちますし、「私はここに属している」という安心感があります。この考えを踏まえながら、縛られすぎないようにうまく活用して生きていきたいと思いました。