第20回 学生スタッフレポート

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だれかの記憶に生きていく 〜納棺師からみた生と死〜

木村 光希 氏(おくりびとアカデミー代表、納棺師)

こんにちは!すっかり肌寒く感じる季節になりましたね。キャンパスの木々が赤や黄色に色づくなか、毎年恒例のイルミネーションの準備も進んでいて、クリスマスが待ち遠しくなってきました。そんな11月24日(木)、「総合2022」第20回の講演は、おくりびとアカデミー代表・納棺師の木村光希さんにお越しいただきました。納棺師とは、お葬式の前に故人の身体を清めて棺に納める、納棺の儀を行う方のことです。納棺師という言葉にはあまり馴染みがなくても、映画『おくりびと』で描かれた職業というと、頭に浮かぶ方も多いのではないでしょうか。実は、木村さんのお父さんは木村さんと同じく納棺師であり、『おくりびと』では技術指導を行っていたそうです。木村さんは、お家にお父さんの弟子がいつも出入りしているような、納棺やお葬式が身近な環境で育ち、自らも納棺師を仕事とするようになりました。20代前半になると、中国、韓国、台湾などアジアの諸国で、ご自身の技術を伝えながら各国の死生観や宗教観を学び、帰国後に納棺師を育成する学校「おくりびとアカデミー」を立ち上げ、葬儀会社「おくりびとのお葬式」を創業したそうです。今回の講演では、納棺師としての経験談をご紹介いただきながら、「死について考える」とはどういうことなのかについてお話しいただきました。身近な存在や、著名な人などが亡くなったとき以外に、死についてじっくりと考えてみる機会はなかなかないものだと思います。講演が始まるときは、私を含め、受講生も身構えた雰囲気がありましたが、木村さんは、ときに笑いを混じえながら、真摯に、わかりやすくお話をしてくださいました。

講演で木村さんは、受講生に2つの質問を投げかけました。
1つ目は、人は死んだらどうなっちゃうの?という問いです。誰もが一度は考えたことがあり、考えすぎると怖くて夜眠れなくなってしまうような問いだと思います。木村さんの今までのご経験から、この問いの答えは主に「①全くの無 ②生まれ変わる ③天国や地獄など、あの世の生活がある」の三択に分けられるそうです。講演ではこの三択で挙手をしたのですが、想像したよりもみんなの答えがばらついていて驚きました。木村さんは、こういった人それぞれの死生観は、自分なりに生と死を捉え直して導いた解なのだとおっしゃいました。問いの正解は誰にもわからないし、ないのかもしれません。でも、たとえば地獄があると信じている人が地獄に落ちないよう良い振る舞いをしようとするように、どのような答えを出すかで生き方が変わってくるのです。
2つ目の質問は、自分らしいお葬式とは?という問いです。木村さんが今まで担当してきたお葬式は、誰を呼びたいか、どこでお葬式をするか、何を着るか、流す曲は?料理は?お花は?…など、故人を尊重し、その人らしさをどう表現するかを大切にしているそうです。講演で紹介していただいた実際のお葬式の例では、一般的な仏花らしくないモダンなお花を飾ったりするだけでなく、自宅でカラオケをしながらお葬式をしたり、旅行をさせてあげたかったという遺族の方の気持ちを汲み航空券を手作りして供えたりと、形式にとらわれない工夫が凝らされていました。その人らしさ、とは、その人がどう生きてきたか、でもあります。自分のお葬式はどんな風になっていたら嬉しいだろうか、私らしいってなんなんだろう、どんなお葬式をしたら、参列者に「私らしいね」と笑ってもらえるのだろう、と考えこんでしまいました。

こういった質問やお話を通して木村さんが繰り返し伝えてくださったのは、「死について考えることは、生きることについて考えること」というメッセージでした。講演のなかで印象的だったのは、質疑応答の時間です。木村さんは、私だったら答えに迷ってしまいそうな死に関する質問に対しても、自身の考えをすぐに答えてくださいました。納棺師というお仕事をされるなかで、私の何倍も死に向き合って考えてきたからこそ、死について、そして生きることについて自分なりの答えをしっかりと持つことができているのだろうと感じました。

死は生と隣合わせのものなのに、死に関する話はタブーであり、気軽にするものではないという風潮が強いです。講演を聞いて、私たちが死に対してぼんやりとした得体の知れない恐怖を抱いてしまうのは、こういった風潮のせいで、死に向き合って自分なりに考えてみる経験をほぼ持たずにいるからではないかと思いました。でも本当は、木村さんがおっしゃったように「死について考えることは、生きることについて考えること」なのです。今年度の「総合」のテーマ『自画像を描く〜“枠”から気づく自分の世界〜』に照らし合わせてみると、「死は私の生を描いてくれる“枠”である」と言い換えることもできるでしょう。そう思うと、自分の生をめいっぱい素敵なものにするためにも、死から目を逸らさず、向き合ってもっと考えてみたい、と思えてきました。そして、自分ひとりで考えるだけではなく、家族や友達とも、それぞれの死についての話をしていければいいなと思いました。木村さんは、「よりよいお別れがよりよい社会になる」という信念のもとでお仕事をなさっているそうです。自分の死、身近な人の死と向き合い、よりよいお別れをできるようにしていくことは、おくる側として、そしていずれはおくられる側としても、安心して過ごせるよりよい社会を作っていくことに繋がるのだと思いました。とはいえ、身近な死は辛く悲しいものです。どれだけ心の準備をしていたとしても辛いのに、身近な死によって初めて強制的に死と向き合わされ、考えざるを得ない状況に置かれたとしたら、誰だって逃げ出したくなってしまうでしょう。そうならないためにも、いつかは社会のすべての人が、日頃から死と能動的に、前向きに向き合えるようになればいいなと思いました。

今回「総合」スタッフの私が木村さんに講演を依頼するきっかけとなったのは、祖母とペットの死でした。大切な存在が、私だけでなく受講生のみなさんに、このような学びとなる講演をもたらしてくれたのだと思うととても嬉しいです。おくりだしたひとたちとの想い出を胸に抱きながら、これからもたくさん学び、笑って生きていきたいです。

国際関係学科4年 枝豆

コメントシートより

  • 「死生観」を「最期までどう生きるか」と言い換えたり、葬式とは「どういう人だったのかを伝えていくこと」であると話していたり、木村さんの中で「死」を恐怖を抱くネガティブなものというよりも「生」と結び付け今よりよく生きることに目を向けていたのがとても印象的だった。今までは「死」というとイメージが湧かずただ漠然と怖いという思いだけであったが、今回のお話を聞いて死があるからこそ今を大事にしようと考えをポジティブに変えることが出来た。また、「今日が人生最後の日では少ししんどい」という言葉にも共感した。よく今日が最後だと思って後悔しないように生きろ、というような言葉を聞くが、後悔するのは当たり前であること、だからこそできる限り後悔がないようにしていくのが大切であることを学んだ。死への距離感を持ち、後悔を少なくするように行動している木村さんの考え方がとても参考になり、私もいつか死ぬからこそやりたいことは早めにやって後悔をしないように行動していきたいと思った。
  • 今回の講演を通して、命の尊さと儚さを強く感じた。特に講演の最後の方で木村さんが仰っていた、自分の命の期限を6ヶ月単位で意識してみるという考え方がとても印象に残った。どうしても何気なく毎日を過ごしていると、自分が今生きていることの素晴らしさに対する認識は薄れてしまいがちだが、自分が元気に生きているのはあと6ヶ月だろうと仮定してみた時、今自分がしなければならないことや、やってみた方が良いことなどが明確に見えてきて、それと同時に周りの環境を見直すことや、日々の事柄に感謝をするきっかけになるのだととても感動した。考えてみれば、人間は常に死と隣り合わせであり、その見えない恐怖が故に、その存在を避けてしまう傾向にある。しかし、時折その事実と向き合ってみること、そして自分の行動を思い返してみることで、新たな自分を作り出していけることに繋がるのだと今回のお話を通して感じ、「死」に対するポジティブなイメージを創造することができた。
  • 今回の講演から学んだことは、私たちはあらゆる仕事において、人間であることを最大限に活かした活動をすべきであるということだ。講師の木村さんを例にとると、納棺師が泣くことでご親族を不快にしてしまう可能性があるが、感情を一切持たなければ人間がやる意味がないということが挙げられる。人間だからこそ起こる失敗もあれば、人間だからこそできることもある、ということは納棺師の仕事のみならずどんな仕事にも共通して言えることである。仕事をする中でどのくらい感情を入れるかを大事にしていきたいと感じた。
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