第9回 学生スタッフレポート

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繊細に、大胆に

山邊 鈴 氏(ウェルズリー大学1年生)

みなさん、こんにちは!

「総合2022」第9回、6月23日の講演は、アメリカ、ウェルズリー大学1年生の山邊鈴さんにお越しいただきました。山邊さんは、中学生の頃から国内外の格差や貧困に関心を持ち、学生団体の設立や途上国の取材などの活動をしていらっしゃいました。現在は、ウェルズリー大学で経済学を専攻して学んでいらっしゃいます。今まで、様々な活動を通してたくさんの世界を見てこられた山邊さんの視点から、これまでの人生を振り返ってのエピソードや、現在の生活についてなどお話していただきました。

山邊さんが、「国境なき子どもたち」という団体が主催する、途上国へ無料で行けるプログラムに、「友情のレポーター」として参加したときのお話です。山邊さんは、「子どもだけが入る刑務所」を訪れました。刑務所に足を踏み入れる前までは、「刑務所にいる人たちが自分の人生に入ってくる」「自分が彼らの人生の登場人物になる」ことに対する恐怖を感じていたそうですが、そこでのある男の子との出会いが、山邊さんの考えを変えるきっかけになります。鉄格子の中の男の子と楽しく会話をした後、男の子に「今日から友達ね!」と言われたとき、山邊さんは、「うん」と返事をすることができませんでした。そこで男の子と友達になったとして、明日からもずっと、山邊さんと男の子は鉄格子の内と外で関わることになるでしょう。そこで返事をすることは、無責任だと感じたのです。この瞬間、山邊さんの中で、自由でいられる人とそうでない人との「分断」という「社会問題」が、「私」と目の前の「あなた」の問題に変わったといいます。

私は、山邊さんの持つ、社会問題に対する真摯な姿勢にはっとさせられました。私だったら、異国の地で楽しく話すことのできる同年代の子がいた場合、嬉しさや興奮も相まって、その場で友達になることを承諾していたかもしれません。そこで一歩踏みとどまって思い直し、目の前にある問題を客観的にも、主観的にも見ることのできる山邊さんの言動から、学ばせていただくことが多々ありました。

さらに、同時期に感じたという「別世界コンプレックス」についてのお話もありました。スピーチコンテストやサマーキャンプに参加し、普段出会うことのない人々と接する中で、山邊さんはこの壁にぶつかります。「趣味は旅行です!」「(海外の)どこからきたの?」山邊さんにとって、これらの言葉は衝撃的で、胸に強く刺さる重みでもありました。何故なら、自分とは全く異なる「枠」に属している人たちの中で、反対する親の手を振り払い、長崎からやっとの思いで参加することができた山邊さんにとって、自分には入れない枠組みがあること、そしてその枠組みに簡単に入ってしまうことができる人たちがいる、という格差社会の現実が、大きな壁となって立ちはだかったからです。

ただ、講演の冒頭で山邊さんが「人はその周りの人々5人の平均値である」とおっしゃっていたことを考えるのなら、こうして、枠を飛び出して新たな世界を見ることに大きな意義があるのだとも思いました。何故なら、普段自分とは関わることのない人々のことを知ろうとすることは、自分が暮らす世界の地図を広げることに繋がると思ったからです。こうして世界の分断を目にした山邊さんにとって、「人にはできて、自分にはできないことがある」という現実に対する悔しさが、原動力ともなっているようでした。

「長崎、女子、高校生」。これらの「枠」は、山邊さんが「普通になれないこと」に苦しんでいる最中で執筆したnote記事に多数の反響があって以来、メディアで対談をする際に、山邊さん自身に貼られたレッテルでもありました。「分かりやすい枠で判断されないところで自分の力を試したい。」そう思った山邊さんは、固定観念的な性別意識のない女子大を選んだそうです。

多種多様な性のあり方が認められる女子大での生活のお話は、同じ女子大に通う私たちにも、共感できる部分があったのではないでしょうか。山邊さんのお話では、女子大にいると、ジェンダーの枠組みにおいては自分がマジョリティにもマイノリティにもなり得るという驚きについても触れられていました。女子大にいるからこその気づきや利点は、まさに今の私たちだからこそ得られるものであると思います。「自分がこの場所にいるからこそ気づけること・得られるもの」を、「普通」の枠組みを柔軟に変化させながら吸収していくことは大切なことなのではないでしょうか。

「世界は意外と何とかなっていない。」たくさんの世界を見ていらっしゃった山邊さんがおっしゃったこの言葉は、説得力があり、衝撃的でした。今、こうしているうちにも世界では新たな問題が生まれて、その都度衝突を繰り返しているかもしれません。「世界には色んな問題があるけど、きっと誰かがうまいことやってくれて、何とかなっているだろう。」自分がその問題の当事者でない限り、そう考える人も少なくないのではないかと思います。このような問題に対する危機感や、これまでの経験を通じて積み重ねられた想いから、山邊さんは「意思決定できる人とできない人の格差をどうにかしたい。」という発想に至り、現在も活動していらっしゃいます。「世界は意外と何とかなっていない。」この言葉は、私たちがそれぞれの問題と向き合う際のヒントになるかもしれません。

「普通」への「違和感」は変革への鍵。山邊さんのお話から、「自分の人生を自分の手で切り拓く」ことで得られるものの重さや、どんどん居場所を変えることで見える景色が変わることを学ぶことができました。今後の人生において、私たちがそれぞれ思い描く自画像に近づくための道標ともなる講演であったように思います。
国際関係学科3年 みけ

コメントシートより

  • 講演を聞いて、「ふつう」とは何かということを深く考えさせられた。「ふつう」というのはその場の状況によって、全く違うものであり、それは国単位でも、地域単位でも、自分が生活している身近なコミュニティ単位でも多様化しているものであると感じた。だからこそ、私はこの「ふつう」に対して、受け入れること、批判しながら考え続けること、また「ふつう」を考える人たちに対して想像力を持ち続けることをし続ける必要があると考えた。
  • たまたま自分は日本人に生まれて、恵まれた環境で何不自由なく生きてこれたけれど、これは当たり前ではなくて何かが一つでもずれていたらもしかしたら今の環境はなかったかもしれないと考えると、今こうやって生きていることに奇跡を感じます。「ふつう」に違和感を感じることって簡単そうに思えてすごく難しいことだと思います。自分の枠を作っていくには既存の枠に囚われていてはいけないんだと改めて感じました。
  • 自分を知ることは、環境の違う他人を知ることが大切だと言うことを学びました。講演の最初に「自画像を描いてみてください」と言われ、自画像を描きました。その後、「自分の内面についての自画像をかけますか?」と質問されました。自分のことをよく知らない私は、「描けないな」とそこで思いました。講師がそこで自画像をかける理由と、自分の内面を書くことができない理由をおっしゃていました。まず、自画像が書ける理由は、「他人の顔は目に見えるため、自分の顔と簡単に比較して特徴を捉え描くことができる。」「様々な人に会うため、様々な人の顔を見入ることができる」からだそうです。しかし、「内面はコミュニケションをとることでしかわからず、目で見ることができない。」「自分の周りには似た人が集まりやすい(類は友を呼ぶ)」と言う点が内面を描くことと、自画像を描くことでは変わってくるとおっしゃっていました。その話から、自分の内面を書けるようになる、即ち自分を知るためには、まず、環境の違う他人とコミュニケーションを取ったり、他人の書いた本を読んだりして他人を知る。次に、他人と比較して自分の枠を知る。そうすることで、できると確信しました。
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