第22回 学生スタッフレポート
子どもと算数学び直し — 誤りの大きな「値打ち」
谷口 隆 氏(神戸大学大学院理学研究科教授)
こんにちは!「総合2021」第22回、12月9日(木)の講演は、神戸大学教授の数学者である谷口隆さんにお越しいただきました。谷口さんは、『子どもの算数、なんでそうなる?』(岩波書店)というエッセイ本の著者であり、二人のお子さんの父親でもあります。今回は、お子さんとともに算数を考えてこられた経験から、「誤り」の捉え方についてお話しいただきました。
皆さんは、小さい子の算数の「誤り」を発見したとき、どのような反応をするでしょうか。「そんなこともわからないの!?」と叱ることはないと思いますが、善意で誤りを正してあげようと考える人は多いのではないでしょうか。しかし、谷口さんは、誤りを指摘するよりも、本人が試行錯誤し、考える過程を見守ることが大切だとおっしゃっていました。では、具体的にどうしたら良いのでしょうか。
一つ目は、子供の目線で考えることです。谷口さんのお子さんがまだ小さく、おはじきを数えて遊んでいたとき、右から数えて9個、左から数えて8個だった、と言ったことがあったそうです。私たちであれば、右から数えた数と左から数えた数が異なっていたら、どちらかを数え間違えたと思い、もう一度数え直すはずです。しかし、幼い子供にとっては、右から数えた数と左から数えた数が異なっていても違和感を感じないことがあるということのようです。子供の物事の捉え方・考え方は私たちの常識からは想像がつかないことが沢山あります。いったん自分の常識をどこかに置いて、子供の目線に立って一緒に考えてみるということが大切なのです。
余談ですが、このお話を聴いたとき、私が幼稚園に通っていた頃の出来事を思い出しました。その頃の私には、友達と別れて自宅に帰る途中、ずっと泣いていた時期があったのです。それは、友達とバイバイしたのが寂しかったからではありません。自分の視界から消えた友達が、今も自分と同じ世界にちゃんと存在していて、本当に自分と友達に同じ時間が流れているのだろうか、と不安になったからです。今思うと泣くほどのことでもないだろうと思うのですが、当時の私にとっては、自分の視界の外側に世界が存在していることが理解できず、とても不安になったのだと思います。子供の行動や言動、物事の捉え方、考え方は常識では想像がつかなくても、確かにそこには子供なりの理論があるのではないかと思いました。
二つ目は、誤りの面白さに気がつくことです。ある日、谷口さんが、77÷7は?とお子さんに問いかけた際に、17と答えたことがありました。その際、どうしてその答えに辿り着いたか考えてみたところ、77を70と7に分け、70÷7=10まではできていたが、7÷7をすることを忘れてしまったのだということに気がついたそうです。確かに、このように考えてみると、なるほど!そこでつまずいていたのか!と気がつけますし、逆に、そこまではできていたのか!と、できたところに着目することもできます。最終的に子供が出した答えは誤りでも、その過程はしっかりと論理的に組み立てられているのです。このように考えると、誤りを見つけて、そこから考察していくことが謎解きみたいで面白いなと感じます。
三つ目は、できないものはできないと割り切ることです。これは、お子さんが谷口さんに解いたドリルを見せにきたときのお話しです。そのドリルは、四つのイラストの中で、それぞれ背が高い方のキャラクターに色を塗るというもので、一つだけ難易度が高いものがありました。お子さんは、その難易度の高い問題を一つ間違えていたのですが、谷口さんは、あえて指摘することはしなかったそうです。それは、お子さんが「やりきった感」を出していたし、難易度も高いと感じ、今ここで、指摘して直させなくても良いのではないかと思ったからだそうです。今の時期にできないものはできない、と割り切り、静かに見守ってあげることも大切なことだとおっしゃっていました。
また、このことに関連して、私たちが解けない問いに遭遇したときにも、それを頭の片隅で「放牧」しても良いのだとおっしゃっていました。これは、その時点ですぐに答えを出したり、正解を見たりせず、いったん頭の片隅に置いておいても良い、ということです。私自身、最近まで、間違えたものはすぐに直さなければいけないし、すぐに正解を知らなければいけないと思っていました。確かに、テスト勉強や受験勉強にはそのような側面があるのかもしれません。しかし、大学生になった今、この言葉を聞いて、わからない・解けないという状態を、もっと楽しみながら勉強していきたいなと思いました。
最後に、今回の講演を通して、相手の目線に立って、なぜその答えに辿り着いたかを考えることが大切だなと、改めて感じました。必ずしも、全ての物事に対して、算数のように明確な正解が用意されているとは限りません。すぐに誤りを正そうとすることは、時に、自分の正義感の押し付けになってしまう可能性があります。どのような行動・言動であっても、本人がそれを主張するに至った経緯があるはずです。相手の目線に立ち、どうしてその人はその主張をしているのだろう、と考えてみることで、今まで見えていなかった真実が見えてくるかもしれません。目に見える答えのみで判断し、批判をしたり、相容れないと諦めてしまったりする前に、その答えの背後に隠れている過程に目を向けてゆきたいなと感じました。
皆さんは、小さい子の算数の「誤り」を発見したとき、どのような反応をするでしょうか。「そんなこともわからないの!?」と叱ることはないと思いますが、善意で誤りを正してあげようと考える人は多いのではないでしょうか。しかし、谷口さんは、誤りを指摘するよりも、本人が試行錯誤し、考える過程を見守ることが大切だとおっしゃっていました。では、具体的にどうしたら良いのでしょうか。
一つ目は、子供の目線で考えることです。谷口さんのお子さんがまだ小さく、おはじきを数えて遊んでいたとき、右から数えて9個、左から数えて8個だった、と言ったことがあったそうです。私たちであれば、右から数えた数と左から数えた数が異なっていたら、どちらかを数え間違えたと思い、もう一度数え直すはずです。しかし、幼い子供にとっては、右から数えた数と左から数えた数が異なっていても違和感を感じないことがあるということのようです。子供の物事の捉え方・考え方は私たちの常識からは想像がつかないことが沢山あります。いったん自分の常識をどこかに置いて、子供の目線に立って一緒に考えてみるということが大切なのです。
余談ですが、このお話を聴いたとき、私が幼稚園に通っていた頃の出来事を思い出しました。その頃の私には、友達と別れて自宅に帰る途中、ずっと泣いていた時期があったのです。それは、友達とバイバイしたのが寂しかったからではありません。自分の視界から消えた友達が、今も自分と同じ世界にちゃんと存在していて、本当に自分と友達に同じ時間が流れているのだろうか、と不安になったからです。今思うと泣くほどのことでもないだろうと思うのですが、当時の私にとっては、自分の視界の外側に世界が存在していることが理解できず、とても不安になったのだと思います。子供の行動や言動、物事の捉え方、考え方は常識では想像がつかなくても、確かにそこには子供なりの理論があるのではないかと思いました。
二つ目は、誤りの面白さに気がつくことです。ある日、谷口さんが、77÷7は?とお子さんに問いかけた際に、17と答えたことがありました。その際、どうしてその答えに辿り着いたか考えてみたところ、77を70と7に分け、70÷7=10まではできていたが、7÷7をすることを忘れてしまったのだということに気がついたそうです。確かに、このように考えてみると、なるほど!そこでつまずいていたのか!と気がつけますし、逆に、そこまではできていたのか!と、できたところに着目することもできます。最終的に子供が出した答えは誤りでも、その過程はしっかりと論理的に組み立てられているのです。このように考えると、誤りを見つけて、そこから考察していくことが謎解きみたいで面白いなと感じます。
三つ目は、できないものはできないと割り切ることです。これは、お子さんが谷口さんに解いたドリルを見せにきたときのお話しです。そのドリルは、四つのイラストの中で、それぞれ背が高い方のキャラクターに色を塗るというもので、一つだけ難易度が高いものがありました。お子さんは、その難易度の高い問題を一つ間違えていたのですが、谷口さんは、あえて指摘することはしなかったそうです。それは、お子さんが「やりきった感」を出していたし、難易度も高いと感じ、今ここで、指摘して直させなくても良いのではないかと思ったからだそうです。今の時期にできないものはできない、と割り切り、静かに見守ってあげることも大切なことだとおっしゃっていました。
また、このことに関連して、私たちが解けない問いに遭遇したときにも、それを頭の片隅で「放牧」しても良いのだとおっしゃっていました。これは、その時点ですぐに答えを出したり、正解を見たりせず、いったん頭の片隅に置いておいても良い、ということです。私自身、最近まで、間違えたものはすぐに直さなければいけないし、すぐに正解を知らなければいけないと思っていました。確かに、テスト勉強や受験勉強にはそのような側面があるのかもしれません。しかし、大学生になった今、この言葉を聞いて、わからない・解けないという状態を、もっと楽しみながら勉強していきたいなと思いました。
最後に、今回の講演を通して、相手の目線に立って、なぜその答えに辿り着いたかを考えることが大切だなと、改めて感じました。必ずしも、全ての物事に対して、算数のように明確な正解が用意されているとは限りません。すぐに誤りを正そうとすることは、時に、自分の正義感の押し付けになってしまう可能性があります。どのような行動・言動であっても、本人がそれを主張するに至った経緯があるはずです。相手の目線に立ち、どうしてその人はその主張をしているのだろう、と考えてみることで、今まで見えていなかった真実が見えてくるかもしれません。目に見える答えのみで判断し、批判をしたり、相容れないと諦めてしまったりする前に、その答えの背後に隠れている過程に目を向けてゆきたいなと感じました。
情報科学科一年 おかまる
コメントシートより
- 私は、弟や妹に何かを教える際に、誤りがあったら全て正しいものに直さなければ彼らのためにならないと考えていた。しかし、「できないことを無理にさせない」という谷口さんの言葉を聞いて、彼らの関心がすでに別のものに移っていたり間違っていたとしても答えに満足しているのならば、追求を強いる必要はないのだと気づいて気持ちが軽くなった。また、人に何かを教える時は、自分の視点だけで説明するのではなく、どこまでわかっていてどこにつまづいているのかを相手の立場で考えることが大切だと学んだ。
- 私としては「誤りは面白い」という谷口さんの言葉に衝撃を受けました。誤りは許されないと思い続けていた私にとってとても新鮮なものでしたし、間違えることは自分を成長させるものだと学びました。
- 答えがわからない時、私はすぐに調べたり、なんとか理解するように努めてきましたが、疑問点をわかるまで頭の片隅に置いておくという価値観には驚いたし、今後取り入れようと思いました。