2020年度 第19回 学生スタッフレポート

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「自由」はいかに可能か

苫野 一徳 氏(教育哲学者)

「総合2020」第19回、12月3日(木)の講師は、熊本大学教育学部准教授の苫野一徳さんでした。苫野さんは教育哲学を専門とされており、今回は「『自由』はいかに可能か」というテーマで講演してくださいました。「自由とは何か」「自由に生きていくために私たちはどうしたらよいのか」などをじっくりと考える時間になったのではないかと思います。

まず、自由とは何か。苫野さんは、ヘーゲルの言葉に基づき、「自由とは、生きたいように生きられていると実感できること」だとおっしゃっていました。私たち人間は誰しも欲望を持ち、自由に生きたいと願っています。しかし、私たちは社会のなかで生きていく以上、自分の持つ欲望のすべてが満たされることはありません。つまり、常に欲望は一定の制限を受けており、また、私たちはすべての欲望を満たす能力を持ち合わせてはいないため、常に不自由を感じてしまうのです。

では、自由に生きるためにはどうしたらよいのか。これには、欲望を達成するために、欲望と能力のギャップを埋める必要があります。欲望と能力のギャップを埋める方法として、苫野さんは欲望を下げる、欲望を変える、能力をあげるという3つを紹介してくださいました。この「欲望は変えられる」という言葉は私にとって、とても衝撃的でした。私にとって欲望とは、我慢するもの、もしくは能力に見合ったレベルに下げるべきものであり、欲望そのものを変えるという発想が全くなかったのです。しかし、苫野さんによると、俯瞰力があれば欲望は意外と簡単に変えられるものなのだそうです。欲望を意識しているときは、そのことしか見えなくなりがちですが、一歩引いて考えてみると、妙なこだわりやプライドに気づいたり、本当に求めているものについて考え、他の方法を探すことができるようになるのだと思います。

また、苫野さんは、自由に生きるには力が必要であり、それには公教育が重要な鍵を握っているということもお話しくださいました。私たちは社会の中で生きているので、自分の自由だけを考えているわけにはいきません。互いの自由を認めることではじめて、皆が自由になり、自分も本当に自由になれるのです。そして、互いの自由を認め合うためには「自由の相互承認」の精神を育てることが必要であり、これは、公教育が育てるべきものです。近年「自由な教育」というのが盛んに叫ばれていますが、苫野さんは、公教育は「自由な教育」ではなく「自由になるための教育」であるべきだと言います。無制限の自由を与えるのではなく、制限された自由のなかで自由を行使する経験を積むことで、自由に生きるための力を身につけることができるのです。

私は、苫野さんの「読書は私たちをGoogleMapにする」という言葉がとても印象に残っています。読書は私たちにたくさんの知識や視点を与えてくれるので、私たちは読書によって世界を広げることができます。苫野さんは、週に1〜2冊の本を読んでいると世界が変わるとおっしゃっていました。「自由の相互承認」の精神、自由に生きる力は、読書によっても高めていくことができるのです。

満たされない欲望に執着し、常に不自由を感じている私ですが、欲望は変えられると知り、自分の執着している欲望を見直し、自分が本当に求めているものを見極めようと思いました。幸せになる方法を探すのではなく、自分の欲望と向き合い、満たし、自由を獲得した結果として、幸せを感じられたらと思います。

国際関係学科1年 どんぐり

コメントシートより

  • 自由であるということの本質を知らないと自由になることはできないという言葉が印象に残った。ただ単に自分の好きなように生きるというのではなく、自分の欲望が満たされたと実感するときに自由であると人は感じるのだということから自由であるということは互いに価値を認め合うことができるということだというところにまで行き着くというのは意外であったのと同時に納得することができた。
  • 自分のなりたい理想ってのは変えてもいいんだ、と、勇気が出ました。
  • 世界中で人々が共存し、それぞれが終わりのない欲望を持っている存在である以上、やりたい放題の「自由」ではなく、一定の規定の中での「自由」が求められるべきであると理解しました。まさにこれが俯瞰力であると言えると思います。「自由」の本質を追求するように、何事も本質を追い求め、見極めることが重要であると感じました。そしてその際には、自分だけを見つめるのではなく、物事を俯瞰し、相互的な利害を正しく判断することが求められてくると思いました。また、幸福(自由)になるためには「能力を上げる」「欲望を下げる」「欲望を変える」ことが必要だとルソーは示しており、自分の心持ちや努力次第でいかようにも変えることができるのだと思いました。ただ自由や幸福を求めて欲望だけを追求し、ないものに目を向けるのではなく、今あるものや手が届きそうなところに目を向けたり、少しでも目標に近づけるように努力したりすることが大切なのだと感じました。これは簡単そうに聞こえますが、私たちは自分たちが思っている以上に欲望に満ちた世界で生きており、現状に対する満足度が低いように思います。自分を縛っているものを少しほどくだけで、自分自身を解放し、「自由」に生きられるのではないかと思いました。
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