2020年度 第11回 学生スタッフレポート
自分の立ち位置を知る
原田 朱美 氏(朝日新聞デジタルイノベーション本部員)
皆さん、こんにちは!「総合2020」第11回、10月1日(木)の講演は、朝日新聞記者の原田朱美さんにお越しいただきました。原田さんは朝日新聞東京社会部に所属し、メディアサイト「withnews」で若者や教育、マイノリティなどをテーマにした記事を多数執筆されており、津田塾大学でも講義を持っておられました。原田さんは授業の中で、日々目にする玉石混交の情報から玉の情報を見つけ出し、それらを正しく理解するには俯瞰力が必要だとおっしゃっていました。そんな原田さんの授業は、今年度の「総合」のテーマを「俯瞰力」にするきっかけの一つでありました。「総合」では4月からさまざまな講師の方に俯瞰力の大切さについてお話しいただいてきましたが、今回は世の中にあふれる情報との付き合い方を教えていただきながら、今一度「俯瞰力」そのものについて考えることができる講演となりました。
インターネットが普及し、言葉を打ち込んで検索するだけで、多くの情報が手に入る時代となりました。多くの情報に簡単に触れることができるという利点の一方で、偽の情報も数多く含まれています。原田さんはそのような情報を分類することについてお話ししてくださいました。ある出来事についての当事者の発信が「1次情報」、聞いた人の発信が「2次情報」、当事者とは関係ない人から又聞きによる発信が「3次情報」です。情報源が分からないものは分類できない、信用できない情報であると教えてくださいました。
情報には事実と意見が混在しています。科学的、客観的に調べたデータなのか、書き手の持論であるのか、それを見分ける必要性についても言及されました。前者は変化することのないものですが、後者は書き手の感じ方、価値観が入るため、必ず偏りが生じます。情報が混在している社会で、信用できる情報を得るためには、まず情報源は誰であるかを見極めることと、情報が科学的な根拠に基づいた事実なのか、書き手の持論なのかをはっきりさせる事が大切であるとお話ししてくださいました。
ではどのように見極める力を養うことができるでしょうか。それは、身近で簡単なことのようですが、自分で考え、判断することです。日々、私たちはニュースや報道から多くの情報を得ています。それらをただ聞き流すのではなく、その情報は本当なのか、一度立ち止まって自分で考えてみること、その積み重ねが自分自身で考えるトレーニングとなり、結果として情報を見極める力を養うことができるのです。自分で考える上で分からないことがあったら、他人に聞くことや知識を得ることを躊躇ってはなりません。原田さんは、恥ずかしいを捨て、自分が分からないことを他人に聞けることは他者と生きていく上で、重要なことであると力強くお話ししてくださいました。
私はこのお話を聞いて、大学生としての生活は、そのような力を身につける絶好の機会であると感じます。授業では、自分で考える場面がたくさんあります。その授業をただ聞き流すのか自分で考えようとするのかは自分次第です。自分で考えるという経験の小さな積み重ねが、社会に出た時に情報と付き合うための大きな力となるのです。講演を聞いて、より一層、自分自身で考え、判断することの大切さを学ぶことができました。
「自分が知らないことを知ることは、自分の足りないところを理解することに繋がり、社会の中での自分の立ち位置を知ることができるようになる」という原田さんの言葉を心にとめ、今後の学校生活を大事にしていきたいと思います。
インターネットが普及し、言葉を打ち込んで検索するだけで、多くの情報が手に入る時代となりました。多くの情報に簡単に触れることができるという利点の一方で、偽の情報も数多く含まれています。原田さんはそのような情報を分類することについてお話ししてくださいました。ある出来事についての当事者の発信が「1次情報」、聞いた人の発信が「2次情報」、当事者とは関係ない人から又聞きによる発信が「3次情報」です。情報源が分からないものは分類できない、信用できない情報であると教えてくださいました。
情報には事実と意見が混在しています。科学的、客観的に調べたデータなのか、書き手の持論であるのか、それを見分ける必要性についても言及されました。前者は変化することのないものですが、後者は書き手の感じ方、価値観が入るため、必ず偏りが生じます。情報が混在している社会で、信用できる情報を得るためには、まず情報源は誰であるかを見極めることと、情報が科学的な根拠に基づいた事実なのか、書き手の持論なのかをはっきりさせる事が大切であるとお話ししてくださいました。
ではどのように見極める力を養うことができるでしょうか。それは、身近で簡単なことのようですが、自分で考え、判断することです。日々、私たちはニュースや報道から多くの情報を得ています。それらをただ聞き流すのではなく、その情報は本当なのか、一度立ち止まって自分で考えてみること、その積み重ねが自分自身で考えるトレーニングとなり、結果として情報を見極める力を養うことができるのです。自分で考える上で分からないことがあったら、他人に聞くことや知識を得ることを躊躇ってはなりません。原田さんは、恥ずかしいを捨て、自分が分からないことを他人に聞けることは他者と生きていく上で、重要なことであると力強くお話ししてくださいました。
私はこのお話を聞いて、大学生としての生活は、そのような力を身につける絶好の機会であると感じます。授業では、自分で考える場面がたくさんあります。その授業をただ聞き流すのか自分で考えようとするのかは自分次第です。自分で考えるという経験の小さな積み重ねが、社会に出た時に情報と付き合うための大きな力となるのです。講演を聞いて、より一層、自分自身で考え、判断することの大切さを学ぶことができました。
「自分が知らないことを知ることは、自分の足りないところを理解することに繋がり、社会の中での自分の立ち位置を知ることができるようになる」という原田さんの言葉を心にとめ、今後の学校生活を大事にしていきたいと思います。
英語英文学科1年 ぱん丸
コメントシートより
- これまでの私は、触れてきた情報を意見も含めて一つの事実として認識していたなということに気がつきました。事実と自分の意見を一緒にしない。というのは、高校で研究論文などを書いている時によく言われていたので、自分で文章を書く際には意識していました。ですが、ネットの記事(特にニュース記事)などは、その出どころだけで信用しきっていたので、文章一つ一つの書かれ方など、細かい部分にはほとんど注目していなかったように思います。私たちは毎日新しい情報に触れながら生きているので、これからは、時には立ち止まって考えながら情報と向き合っていきたいなと感じました。
- 一番私の心に響いたこととして、自分がわからないことを素直に聞けることが、自分と社会のズレを明確にしてくれるということである。そんなのもわからないのかと相手に思われてしまうことを恐れて、聞けないと言うことが一番生きずらく、その後に苦労することになるなと感じた。自分の弱いところを恐れずに、相手に見せることができることは、自分が成長し次につなげるためにも必要なことであるなと感じた。
- 社会に出て行く手前にある私たちは、ざっくりとした不安を抱えていますが、それは社会を「知らない」からこそくる不安なのだと思いました。じゃあ知ればいいとなったとき、溢れかえる情報の数々を、どのように受け止めるか、そしてそれを発信するとき、どのように伝えることが必要かを考える大切さを感じました。これは、ただの情報の取捨選択というわけではなく、コミュニケーションを取る上でも重要で、自らの信頼は自らが発する言葉によって構築されるという言葉に強い印象を持ちました。社会に出て行く手前にある私たちは、ざっくりとした不安を抱えていますが、それは社会を「知らない」からこそくる不安なのだと思いました。じゃあ知ればいいとなったとき、溢れかえる情報の数々を、どのように受け止めるか、そしてそれを発信するとき、どのように伝えることが必要かを考える大切さを感じました。これは、ただの情報の取捨選択というわけではなく、コミュニケーションを取る上でも重要で、自らの信頼は自らが発する言葉によって構築されるという言葉に強い印象を持ちました。