第9回 学生スタッフレポート
『前を向いて一歩ずつ』
矢方 美紀 氏(タレント / 声優)
みなさん、こんにちは!
6月13日(木)の第9回「総合2019」は、矢方美紀さんにお越しいただきました。矢方さんは以前SKE48として、チームSのリーダーも務めるなど意欲的に活動されていました。しかし、乳がんを発症され、2018年4月、25歳の時に左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受けました。そんな状況で苦しみながらも、今を明るく生きようと思えるようになった矢方さんは、現在、子供の頃からの夢であった声優として活動中です。今回は、乳がんが発覚してから今に至るまでの経緯やその時の矢方さんのお気持ちなどを細かくお話していただきました。
矢方さんが乳がんについて気になったのは、ある有名人の方が乳がんによって亡くなられたというニュースを見た時だそうです。自分が乳がんになっているかもとは思っておらず、本当に何となく、お風呂などでできるセルフチェックをしてみました。矢方さんは、その時に左胸に小さなビー玉大のしこりのようなものがあることに気づきます。「もしかしたら…」と思い、一旦病院に行こうとするも都合がつかず、先送りにしたまま知り合いたちと会う機会がありました。その中で、矢方さんはちょっとした話として、左胸にしこりのようなものがあることを語りました。すると、そこにいた方の一人が、いつもの様子とは全く違うとても真剣な顔で、「病院に行ったほうがいい」と言ったそうです。その言葉に何かを感じた矢方さんは、できるだけすぐに病院に行って検査を受けました。1回目の検査では結論が出ず、再度精密な検査を行っていくことになります。そして最終的に下された判断が、乳がんになっている、というものでした。
結果を聞いた矢方さんの頭に浮かんできたのは、「自分は死ぬのだろうか」という恐怖でしたが、なぜか涙は出なかったそうです。矢方さんのがんはステージ2B。そしてリンパ節にも転移していました。矢方さんは医者から手術などの説明を受けるも、乳房を全摘出することに迷いを感じていたそうです。しかし、知り合いの高齢の女性の方に「生きた方がいいよ」とまっすぐな顔で言われたこと、そしてがんについてネットで調べていった中で出会ったある方のブログをきっかけに、左乳房全摘出の手術を受けることを決めました。
その後、手術は無事に成功しましたが、矢方さんのがんはステージ2Bではなく、3Aだったということが分かりました。予想よりも悪かった結果に驚くとともに、抗がん剤などの治療が始まります。薬の影響で生理が来なくなったこと、薬の服用がこの先10年ほど続くこと、そして自分の子供を作ることができないかもしれないことなど、本当にたくさんのことについて悩み、未来の自分のために卵子凍結という選択肢も考えたそうです。しかし、そんな不安の中、矢方さんは自分の中である答えにたどり着きます。それは、「1年後の自分がちゃんと生きているのか分からない中で、ずっと未来のことを考えるのではなく、今をしっかりと自分らしく生きるべきなのではないか」ということです。この頃、矢方さんは周りの人にいろいろなことを言われたそうですが、「私が私で今こうして生きていられるのであれば、それでいいんじゃないか」、そう思えば、薬によって抜けてしまう髪の毛についても家族や友達に笑って見せられるくらい、物事をポジティブにとらえられるようになったそうです。
矢方さんが乳がんになった経験を通して気づいたことは、家族とのつながりの強さだそうです。自分が病気になることで、家族や友人の気持ちが下がってしまうことがショックであり、プレッシャーに感じたこともありました。それでも、家族が自分に普通に接してくれたこと、たくさん助けてくれたことでここまで来ることができた、と語る矢方さんの姿はとても印象的でした。
私自身、他の人よりもポジティブな思考をしているため、今回の矢方さんの講演では共感できることが多々ありました。その中でも一番心に残ったのは、「自分はジャンプすることはできない。できることは前を向いて一歩ずつ進むことだ。」という言葉でした。私たちが生きていくためには、将来のことについて考えていくことは必要だと思います。それでも、今自分ができることをしっかりと一つずつやることが、未来の自分につながっていくことだという矢方さんの考え方はとても大切なことだと思いました。
講演中、聞いている方たちに向けて話したり、質問に答えたりする矢方さんは、決して暗い顔などしておらず、自分のこれからについて明るくお話していました。私は単純に、その姿がとても素敵だなと思いました。私も今回の講演で聞かせていただいた矢方さんの考え方のように、いろんなことをプラスにとらえて、これからを自分らしく生きていきたいと思います。
6月13日(木)の第9回「総合2019」は、矢方美紀さんにお越しいただきました。矢方さんは以前SKE48として、チームSのリーダーも務めるなど意欲的に活動されていました。しかし、乳がんを発症され、2018年4月、25歳の時に左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受けました。そんな状況で苦しみながらも、今を明るく生きようと思えるようになった矢方さんは、現在、子供の頃からの夢であった声優として活動中です。今回は、乳がんが発覚してから今に至るまでの経緯やその時の矢方さんのお気持ちなどを細かくお話していただきました。
矢方さんが乳がんについて気になったのは、ある有名人の方が乳がんによって亡くなられたというニュースを見た時だそうです。自分が乳がんになっているかもとは思っておらず、本当に何となく、お風呂などでできるセルフチェックをしてみました。矢方さんは、その時に左胸に小さなビー玉大のしこりのようなものがあることに気づきます。「もしかしたら…」と思い、一旦病院に行こうとするも都合がつかず、先送りにしたまま知り合いたちと会う機会がありました。その中で、矢方さんはちょっとした話として、左胸にしこりのようなものがあることを語りました。すると、そこにいた方の一人が、いつもの様子とは全く違うとても真剣な顔で、「病院に行ったほうがいい」と言ったそうです。その言葉に何かを感じた矢方さんは、できるだけすぐに病院に行って検査を受けました。1回目の検査では結論が出ず、再度精密な検査を行っていくことになります。そして最終的に下された判断が、乳がんになっている、というものでした。
結果を聞いた矢方さんの頭に浮かんできたのは、「自分は死ぬのだろうか」という恐怖でしたが、なぜか涙は出なかったそうです。矢方さんのがんはステージ2B。そしてリンパ節にも転移していました。矢方さんは医者から手術などの説明を受けるも、乳房を全摘出することに迷いを感じていたそうです。しかし、知り合いの高齢の女性の方に「生きた方がいいよ」とまっすぐな顔で言われたこと、そしてがんについてネットで調べていった中で出会ったある方のブログをきっかけに、左乳房全摘出の手術を受けることを決めました。
その後、手術は無事に成功しましたが、矢方さんのがんはステージ2Bではなく、3Aだったということが分かりました。予想よりも悪かった結果に驚くとともに、抗がん剤などの治療が始まります。薬の影響で生理が来なくなったこと、薬の服用がこの先10年ほど続くこと、そして自分の子供を作ることができないかもしれないことなど、本当にたくさんのことについて悩み、未来の自分のために卵子凍結という選択肢も考えたそうです。しかし、そんな不安の中、矢方さんは自分の中である答えにたどり着きます。それは、「1年後の自分がちゃんと生きているのか分からない中で、ずっと未来のことを考えるのではなく、今をしっかりと自分らしく生きるべきなのではないか」ということです。この頃、矢方さんは周りの人にいろいろなことを言われたそうですが、「私が私で今こうして生きていられるのであれば、それでいいんじゃないか」、そう思えば、薬によって抜けてしまう髪の毛についても家族や友達に笑って見せられるくらい、物事をポジティブにとらえられるようになったそうです。
矢方さんが乳がんになった経験を通して気づいたことは、家族とのつながりの強さだそうです。自分が病気になることで、家族や友人の気持ちが下がってしまうことがショックであり、プレッシャーに感じたこともありました。それでも、家族が自分に普通に接してくれたこと、たくさん助けてくれたことでここまで来ることができた、と語る矢方さんの姿はとても印象的でした。
私自身、他の人よりもポジティブな思考をしているため、今回の矢方さんの講演では共感できることが多々ありました。その中でも一番心に残ったのは、「自分はジャンプすることはできない。できることは前を向いて一歩ずつ進むことだ。」という言葉でした。私たちが生きていくためには、将来のことについて考えていくことは必要だと思います。それでも、今自分ができることをしっかりと一つずつやることが、未来の自分につながっていくことだという矢方さんの考え方はとても大切なことだと思いました。
講演中、聞いている方たちに向けて話したり、質問に答えたりする矢方さんは、決して暗い顔などしておらず、自分のこれからについて明るくお話していました。私は単純に、その姿がとても素敵だなと思いました。私も今回の講演で聞かせていただいた矢方さんの考え方のように、いろんなことをプラスにとらえて、これからを自分らしく生きていきたいと思います。
国際関係学科1年 すみれ
コメントシートより
- 死と向き合うことは本当に怖いことだと思いますが、彼女は決して逃げずに、むしろ前を向いて生きていることが本当にすごいと思いました。
- 友達や家族など、周りの人との出会いを大切にしなければいけないし、一緒に共有している時間を思いっきり過ごさないといけないと思った。
- ジャンプではなくてもよいから自分も一歩ずつできることから進めていきたいと強く思った。