第5回 学生スタッフレポート

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意志について考えてみる

國分 功一郎 氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)

こんにちは!
5月16日、「総合2019」第5回は國分功一郎さんにご講演いただきました。「意志について考えてみる」という、一見すると硬い印象を受けるテーマですが、國分さんの気さくなお話で、冒頭から一気に場が温まりました。

まず國分さんは、意志やそれと深い関係を持つ、中動態について考えるために、身近な例を出されました。例えの1つは謝ることです。「謝る」とはどのような行為なのでしょうか。「謝る」ことは、ただ機械的に頭を下げることではありません。その人の心の中に、「申し訳ない」という気持ちが現れることが、求められているのだと國分さんは指摘します。英語でも日本語でも、「謝る」は能動態で表されます。しかし、ここで起こっていることは、本当に能動的なものなのでしょうか? 心の中から湧き上がってくる謝罪の気持ちを、能動的に、意識的にコントロールできるというのは、どこか不自然な気がします。それでは「謝る」行為は受動的なのかというと、それも違いそうです。何かの原因があって、申し訳ない気持ちを持たざるを得ないという点では、受動的と言えそうです。けれども、「謝らされている」のとは異なります。このように、能動と受動の対立では表現しきれない事柄があるのではないか、と國分さんは問題提起されました。

ここで、話は文法の問題に入ります。英語を勉強すると、能動と受動の対立が絶対的なものに感じられてしまいます。しかし、古典ギリシア語には、この対立がないというのです。能動と受動の対立構造は、つい最近一般化した概念で、歴史的に見れば特殊なのだといいます。ギリシャ語は英語なども属するインド=ヨーロッパ語族の言語ですが、かつて中動態と呼べるものが存在したのだそうです。中動態から派生したのが受動態です。つまり、元々は、能動態と中動態が対立していたのです。中動態とは、どのような意味なのでしょうか?國分さんは、フランスの言語学者、エミール・バンヴェニストによる定義を紹介されました。バンヴェニストによると、能動態では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を示しています。一方、中動態では、主語は過程の内部にあるといいます。中動態を取る古典ギリシア語の動詞の例には、以下のようなものがあります。「欲する」「惚れ込む」「希望する」「畏敬の念を抱く」等です。例えば、相手に畏敬の念を抱く時、自分の意志で尊敬の気持ちを持つわけではありません。ある意味で受動ですが、受動的とは違います。中動態では、その行為の過程が、自分の中にあることが表現されているのです。私は、現代にも中動態があったほうが便利ではないか、と思いました。けれどもなぜ、中動態は受動的に代わられてしまったのでしょうか?

そこには、意志と責任の問題が関わっているのではないかと、國分さんは考えていらっしゃいます。國分さんは、私たちにも馴染み深い童謡を使って、例え話をされました。「ずいずいずっころばし…」の歌では、最後に「井戸の周りでお茶碗欠いたのだーれ」といいます。お茶碗を割ってしまった人の責任を問うているようです。けれども、このように考えることもできます。その人がお茶碗を割ったのは、お母さんに怒られた八つ当たりかもしれません。お母さんが怒っていたのは、夫婦喧嘩のあとで気が立っていたからかもしれません。夫婦喧嘩になったのは…というように、どんな行為も原因を無限に遡っていくことができるのです。けれども、それではお茶碗を割ったことへの責任を問うことができません。そこで、「意志」という概念を作って、因果関係を切断したのではないか、というのが國分さんの仮説です。そうすると、「あなたがお茶碗を割ったのは、あなたの意志でやったことですよね?」と責任の根拠にできるのです。私は、「意志」という概念がもたらしたものの大きさを考え、驚きを隠せませんでした。

國分さんはおっしゃいました。「一人が意志を持って決めるなんて、神話なんだ」と。確かに、私も少し考えてみるだけで、自らの一つの行動の原因はいくらでも遡ることができます。様々な過去の要因が重なって、現在を作っているといえそうです。國分さんは、だからこそ他人(ひと)と一緒に、どうしたいかを考えていくことが大切なのではないか、というメッセージを下さりました。様々な過去を重ねてきた人々が集まり、協働して考えるとき、未来へ進むことができるのかなと思いました。私も協働性を大切に、日々を過ごしていきたいです。

国際関係学科4年 おいも

コメントシートより

  • 私は、能動・受動のみで考えていたので、新しく中動態を学び、世界が広がった気がした
  • 自分が何をしたいのか正直よくわからなかったのだが、今日の講演を受けて、自分で決められなくても、色々な人と話して決めればいいのかなと思い、安心した
  • 無限に連なる因果関係を切断することで、責任が発生すると聞いてハッとした
  • 中動態という昔使われていた言葉から、意志や意思決定の問題を見つけるという過程がおもしろいと思った。歴史を学ぶことは、このように活かせるのだなと思った
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