第9回 学生スタッフレポート
優生思想によるハンセン病・らい予防法
—社会的差別と傍観者の責任—
川邊 嘉光 氏(ハンセン病回復者)
長い夏休みが終わり、3ターム最初の「総合」で講演してくださったのは川邊嘉光さんでした。川邊さんはハンセン病回復者で、現在はハンセン病問題の啓発活動を行なっています。
ハンセン病はアルマウェル・ハンセンがその病原菌である「らい菌」を発見し、伝染病であると証明するまでは、遺伝病であると一般的に認識されていました。それゆえに当時は家族の中で一人でもハンセン病の患者が出れば、家族ごと隔離することもありました。
川邊さんは11歳のときにハンセン病を発病し、当時の隔離施設に強制入所させられました。川邊さんはハンセン病が発病する以前からハンセン病の自覚があったために、自分の病気がいつの日か世間にバレてのけもの扱いされてしまうのではないか、という不安の中生活していたそうです。入所時、川邊さんは一年で出所できるという約束でしたが、結局最終的に出所できたのはその8年後だったそうです。その後もハンセン病患者を治療することができる病院がなかった為に再入所を繰り返すことになります。
当時はハンセン病を疑われ療養所に入ると、一生そこから出ることができなかったといいます。さらにハンセン病の療養所には納骨所、焼却炉があったといいます。
「もーいいかい?」「骨になってもまーだだよ」
子供のころにしたかくれんぼ。その中で必ずする呼びかけを、一般的な社会から強制的な”かくれんぼ”をさせられていた罹患者たちが皮肉した、と川邊さんが紹介してくださったものです。
ハンセンがらい菌を発見したその後も日本でハンセン病患者を差別する傾向は、すぐにはなくなりませんでした。それは、不当なハンセン病予防に対する法律の廃止がごく最近であることからもわかります。一度人々の中にすり込まれた差別意識を解くことが如何に困難なことであるか、ということを感じました。
現在の日本で新たにハンセン病に感染する人はほとんどいません。仮に発症したとしても薬の服用で治療することが可能です。感染者が減ったことやハンセン病患者を差別することを疑問視する人の数が圧倒的に増えたこと、らい病予防に関する法律の廃止によって、隔離施設を使用することも少なくなりました。
この空になった施設をどうしてゆくか、は若い人たちにかかっていると川邊さんはおっしゃいます。この療養所を負の遺産として残しておくのか、人々の中のよくない記憶と捉え壊してしまうのか、その地域の憩いの場とするのか、それは療養所の中にいた人々ではなく、若い人々が決めるべきことだと川邊さんはおっしゃいます。
もしハンセン病が世界からなくなったら、このような不当な差別があったことはもう忘れてしまってもいいのでしょうか。私はそう思いません。色々な側面で平等がうたわれる現代に必要なのは、過去を記憶し反省することです。戦争、感染症、差別など世界でおこる事象のほとんどには終わりがあります。ハンセン病はその一つの例に過ぎません。それらが終わった後に、もう二度と同じことを繰り返さないためにそれらを記憶しておく必要があるのではないかと思います。さらにその反省を定期的に意識することで、他の類似する事象を未然に防ぐことができるのではないかと思います。
過去の過ちを反省し記憶し続けることは、差別のない平等な未来へのフレキシブルな心のコンパスとなることでしょう。
英文学科1年 ジジ