関 智英 准教授

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関 智英先生 関 智英先生

高校生へのメッセージ

【1】「迷った時は、積極的な選択肢を」:関心が向いたら、一歩踏み込んでみましょう。やらずに後悔するより、やって後悔するべきです。失敗も将来の糧になるかもしれません。
【2】「本を読もう」:様々な分野に関心を持ちましょう。読書は必ずや世界を広げてくれます。自身の無知に気づくことも大切です。
【3】「人間〔じんかん〕万事塞翁〔さいおう〕が馬」:世の中の幸不幸は予測しがたいもの、という意味の格言で、出典は『淮南子〔えなんじ〕』という中国の古典です。調子の良い時も過信せず、悪い時は希望を持ちましょう(私の座右銘でもあります)。

私の研究

博士論文では日中戦争を挟む1930年代から50年代の日中関係について検討しました。日中戦争と聞いて皆さんは何をイメージされるでしょうか。北京郊外の盧溝橋〔ろこうきょう〕での衝突をきっかけに戦争が始まり、蔣介石〔しょうかいせき〕や毛沢東〔もうたくとう〕といった指導者が8年間にわたり日本に抵抗した、といった教科書の説明を覚えている人がいるかもしれません。
ただ私が注目したのはこうした抗日側の動向ではありません。一般的にはあまり知られていませんが、日中戦争の際には汪精衛〔おうせいえい〕のように【写真①】、日本と協力した中国人もいたのです。彼ら協力者は日本の占領地で政府(占領地政権)を樹立し、当時の日本はそれを正統な中国政府として認めていました。
日本の敗戦後、状況は逆転します。占領地政権は解散し、対日協力者は「漢奸〔かんかん〕」——漢民族の裏切り者——とされました。政府関係者の多くは逮捕され、中には処刑された人もいました。彼らに対する否定的な評価は現在でも根強く残っており、中国では協力者の主体性を認める研究は難しいのが現状です。しかし協力者にも彼らなりの判断があり、それもまた中国社会の一面を表しています。日本と戦った勢力だけでなく、協力者にも目を向けることで、日中戦争をより立体的に理解できるのです。この研究成果は2019年に『対日協力者の政治構想』として上梓しました【写真②】。
日本は中国大陸の影響を受けながらも、それとは一線を画した文化圏を築いてきた社会です。言わば「中国に最も近い他者」と言っても良いでしょう。今後もそうした視角を意識して中国社会を分析していきたいと思っています。
写真① 汪精衛
写真②
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