2024年度「津田梅子賞」受賞者

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本学創立110周年を記念し創設した「津田梅子賞」は、今年で14回目を迎え、 全国からご推薦をいただきました。
選考の結果、今年度の受賞者は次の方に決定いたしました。

森 郁恵 氏 (名古屋大学名誉教授)

 この度、津田梅子賞という大変な栄誉をたまわりまして、本当にありがとうございます。関係者の皆さまには心より感謝を申し上げます。

 アメリカの大学院にて博士号を取得した直後に帰国し、日本の文化に大きなカルチャーショックを受けました。日本の女性科学者全体の地位が向上しなければ、私自身が科学者として日本で活かされることはないと気づいたことが、私の活動全ての原点です。今後も身を引き締めて、精進してまいります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

受賞者紹介

 森氏は、1980年4月にお茶の水女子大学理学部生物学科を卒業後、1983年3月に同大大学院理学研究科にて修士号を取得。1983年8月に渡米し、Washington University in St. Louisの生物医学系大学院博士課程に進学し、1988年12月に博士号(Ph.D.)を取得。その直後帰国し、九州大学理学部生物学科の助手として、日本の国立大学教員としての研究者キャリアを開始。1998年4月からは、名古屋大学大学院理学研究科生命理学領域(旧専攻)の独立助教授として研究室を主宰、2004年11月に教授に昇格後も、神経科学分野における独創的な研究を継続してきた。2017年4月からは、名古屋大学理学研究科に新設されたニューロサイエンス研究センターの初代センター長として脳神経回路研究の世界拠点を牽引し、女性科学者が主体となった研究を世界に発信した。また、理学研究科の教授として名古屋大学教育研究評議員を務めることで、名古屋大学の執行体制組織に、ニューロサイエンス研究センター長として関わる。

 森氏は自然科学分野における女性科学者の活躍促進(女性教員割合の増加策と日本初の女性限定公募)、女性科学者の育成(女性トップリーダー育成支援の実施)、女性が主導する世界研究拠点の設置(理学研究科附属ニューロサイエンス研究センターの創設)において顕著な貢献をされた。また、日本社会に米国留学時に学んだ新しい学問を導入して普及させた第一人者として、自身も新しい研究分野を切り拓いている。

 上記のような森氏の活動は、生物学を専門とし、後進の支援活動に情熱を傾けた津田梅子がめざしていた次世代の育成に共鳴する部分があり、本賞受賞に値すると考える。

2024年度津田梅子賞贈賞式

 2024年10月13日(日)、津田梅子記念会&ホームカミングデーの中で津田梅子賞の贈賞式が行われました。
津田梅子賞贈賞式の様子
津田梅子賞 受賞者 森 郁恵氏(写真中央)、推薦者 寺崎 一郎氏(写真中央右)と選考委員

贈賞式でのスピーチ

 この度は、津田梅子賞という大変な栄誉をたまわりまして、本当にありがとうございます。私は理系のいち科学者ですので、ご臨席いただいている推薦者の名古屋大学の寺崎一郎理学研究科長を通じて受賞のご連絡をいただいた時は、本当に驚きました。加えて今年は、津田梅子先生が、お札になった年でもあり、格別の喜びを味わう機会をいただきました。関係者のみなさまには、本当に感謝を申し上げます。  
 
 先ほどご紹介がありましたように、私は、1980年にお茶の水女子大学理学部生物学科を卒業し、そのまま、修士課程に進みました。所属研究室では、集団遺伝学という数学的な要素を取り入れて、生物の進化を研究する学問をしていました。当時は、日本の集団遺伝学の研究者の多くがアメリカで博士号を取られていたので、私も自然に、アメリカのセントルイスにあるワシントン大学の大学院に進学しました。  
 
 アメリカでは、お茶の水女子大学の時と同じように、ショウジョウバエを使った集団遺伝学を行う研究室に所属するつもりでしたが、大学院のラボローテーション制度を使い、線虫Cエレガンスをモデル生物として使っている研究室に3〜4ヶ月の短期間だけ、滞在することにしました。日本では全く聞きなれない線虫C エレガンス。「ちょっと違うモデル生物を体験するのも、なにかの役に立つだろう」という軽い気持ちでした。  
 
 ところが、一ヶ月も経たないうちに、線虫のモデル生物としての将来性に、魅了されてしまいました。遺伝学研究に有利な利点を、たくさん持つ線虫を使えば、将来、今までとは違う生物学が、きっとできるだろうと私なりに確信し、そのまま、線虫の研究室に留まることにしました。線虫のコミュニティには、知り合いが誰もいませんでした。逆に言えば、いっさいのしがらみもありません。自分でも不思議なくらいに、本当に、すがすがしい気持ちで、毎日、楽しく研究して、論文を書きました。  
 
 線虫の研究室で5年間を費やして博士号を取得しました。運よく九州大学の助手として採用していただきました。ただ、当時の私は、英語でものを考えるようになっていたので、日本の文化に大きなカルチャーショックを受けました。さらに「日本の女性科学者全体の地位が向上しなければ、わたし自身が科学者として、日本で活かされることはないだろう」という思いに至りました。  
 
 名古屋大学で研究室を主宰するようになってからは、女性研究者、特に若手女性の活躍促進に関する活動を行いました。私は男女共同参画に関連する役職に就いたことがありませんので、自分なりに、地道に活動しました。もしそれが、今回の津田梅子賞の受賞につながったのであれば、この上なく、嬉しく存じます。  
 
 最後に、1つ、申し上げたいことがあります。「何もないところに道を作る」。つまり、「ゼロからイチを作る」パイオニアは、一見、賞賛されているようでいて、意外に、特に日本では、評価されていません。若い方達にわかっていただきたいのは、ご自分たちが活躍できていることは、パイオニアの先人達のあくなき努力が築き上げた土台があるからこそである、ということです。  
 
 物理学者の寺田寅彦先生の「科学者とあたま」という随想の中に、私の好きな言葉があります。この随想で、一番よく知られているのは、「けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない」という言葉ですが、わたしが一番感動するのは、その次に出てくる「科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である」というくだりです。  
 
 ノーベル賞を取る科学者が出る前には、ほぼ必ず、地味な研究成果が多数発表されています。これらの研究成果を出した研究者たちは、一生、その功績を、学術賞の受賞という形で讃えられることはないかもしれません。しかしながら、これらの研究成果がないと、ノーベル賞を受賞する科学者が生まれてこないことも事実なのです。  
 
 つまり、パイオニアの努力は、形あるものとして、社会に足跡(そくせき)を残さないことも多いのです。だからと言って、これらの先人たちの尽力なくして、科学は、進歩しませんし、社会は、変革していきません。名もなきパイオニアに礼を尽くし、畏敬の念を抱くことを、決して忘れてはいけない。わたしはそう思っています。  
 
 若い皆さまも、目先の評価にとらわれず、地に足がついたことを着々とおやりになり、どんな形であれ、社会の一員として社会に貢献していただきたいと、心より、切にお願い申し上げます。
 
 この度は、本当にありがとうございました。
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