本館より

学長挨拶

  今年、2014年は本学の創立者津田梅子が生まれて 150年目の節目の年にあたります。21世紀の今日の視点から、梅子が生を享けた19世紀半ばの時代を振り返ってみますと、その間の世界情勢の変転、日本社会の変容には眼の眩む思いがいたします。梅子が生まれ落ちたのは、なんといっても未だ近代国家となる以前の日本、東京ならぬ江戸の封建社会だったのです。この時代の落差を考えるとき、私たちはあらためて、津田梅子の送った人生、成し遂げた事績の先進性に驚嘆しないではいられません。


  1864年、江戸の農学者津田仙の次女として生まれた梅子は、1871年、満 6 歳で日本最初の女子留学生の一人として、親元を離れアメリカに向かって旅立ちました。それから10年以上にわたってアメリカの家庭で生活し、アメリカの学校教育を受けた梅子は、帰国する頃には西洋式の文化・教養を身につけ、英語で思考するようになっていました。梅子はこの異国のまなざしを通して、女性に社会で活躍する場が与えられない明治の日本社会の現実を直視し、高等教育を通じて知的にも経済的にも自立した女性を育てようと決意するのです。1889年、梅子は再度、アメリカに渡り、リベラル・アーツ・カレッジのブリンマー大学で人文諸科学を学ぶとともに最終年では生物学を専攻し、蛙の発生に関する優れた研究論文を書き上げます。そして帰国後は、華族女学校などで教鞭をとるかたわら、アメリカでの万国婦人クラブ連合会でのスピーチ、ヘレン・ケラー訪問、英国でのナイチンゲールとの会見など、女性の社会貢献の可能性についての知見を積み重ねてゆき、1900年、ついにみずからの理念を実現すべき場所として、女子英学塾を開校するのです。


  はるか150年前に生まれた津田梅子がみずから実践してみせたこと、すなわち、複数の言語を駆使して国内外で発信すること、文理が融合した総合的な教養を身につけること、よりよき男女共同参画社会の実現をはかること、これらはいずれも21世紀の日本が実現すべき課題として掲げている目標にほかなりません。私たちは、過去を振り返り梅子の後を追うことで、未来に進んでゆくことができるのです。津田塾大学は、梅子をまねびつつ、梅子から学びつつ、すべての女性が境界を超えて輝くことのできる社会の実現に取り組んで参ります。
 
津田塾大学 学長 國枝 マリ

2014/07/07

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